「英EU離脱とポピュリズム」(インタビュー記事)

(本エントリーは2016年7月9日付『公明新聞』「土曜特集」に掲載されたインタビュー記事を編集部の了解を得て転載したものです)

 【リード文】

英国の国民投票欧州連合(EU)離脱支持が多数を占め、国内外に混乱が生じている問題に対し、ポピュリズム大衆迎合主義)が背景にあるという指摘がある。北海道大学の吉田徹教授に聞いた。

 【国民投票 社会の分断露呈】

国民投票の結果をめぐって英国内の混乱は続いている。

吉田徹 今回の国民投票はもともと、英国の与党・保守党内で求心力を欠いていたキャメロン首相が、総選挙前に反EU派の台頭を抑え込むための公約をきっかけにしていた。国民投票実施という圧力を用いてEUから譲歩を引き出した上で、「残留」か「離脱」かを問う国民投票残留を勝ち取って保守党政権を安定軌道に乗せるという自作自演は、策略としては練られていたかもしれない。ただ、第65代英国首相を務めたハロルド・マクミランの「政治においては予期せぬ出来事、事件が一番怖い」という有名な言葉にあるように、難民やテロなどの予期せぬ事件を見誤ったため、国内の反EU、反グローバル勢力が炊きつけた〝あらぶる民意〟をなだめきれなかった。

 ―英保守党がそこまで追い詰められた背景は。

吉田 キャメロン首相が国民投票を決めた背景には、保守党が第三極の独立党などに支持層を切り崩される危機感があった。英国は長きにわたり、労働党と保守党の二大政党制が続いてきたが、70年代以降、少しずつ力を失っている。60年代、二大政党の得票率は90%だったが、2000年代に入って70%を切るようになり、最近は安定過半数を獲得できない状況になっている。二〇一〇年の総選挙では何れの政党も安定過半数を得られない「ハングパーラメント」を経験した。

いま英国社会は大きな地殻変動に見舞われている。出口調査では、大都市の周辺部や農村部、あるいは20世紀後半に造船業や鉄鋼業で栄華を誇った地域が大挙して離脱に投票したという結果が出ている。格差が大きく所得の低い地域や成長の恩恵に預かれていない地域、いわば〝グローバル化の敗者〟が離脱を支持した。

逆に、所得が高く、好景気の地域はEU残留を支持している。今回の国民投票によって今まで覆い尽くされていた英国内の分断線が露わになり、傷は思った以上に深いことが白日のもとに晒された。

  【グローバル化進む 雇用や貧困悪化】

―各国を見ても現状の政治に対する不満をあおる主張に支持が集まっている。

吉田 世界中で翻訳され、日本でも話題となったトマ・ピケティの『21世紀の資本』は、一九七〇年代以降になって、格差が拡大して19世紀型の資本主義に回帰しつつあると指摘した。戦前の反省と冷戦があって、二〇世紀後半は国家がグローバル資本主義を抑制的なものにしていた。この歴史的な偶然でリベラルデモクラシー体制が安定して、その下で分厚い中間層が生み出された。

しかし、冷戦が終わってグローバル化が進んだため、この分厚い中間層は逆にやせ細っていっている。これにリーマンショックと続く経済危機が追い討ちをかけた。欧州各国は緊縮財政を余儀なくされ、労働条件や生活環境が悪化し、没落に怯える中間層が政治的な急進主義を呼び込んでいる。

グローバル化と格差拡大を統御できない既成政党は右であれ、左であれ批判され、置き去りにされた民意の空白が生じる。そこをポピュリズム勢力が埋めているのが直近の状況だ。

 ―こうした現状に対し、既存政党は有効な打開策を打てていません。

吉田 多くの国の国政選挙では、既成政党が一致団結すればポピュリズム勢力や極右勢力を押さえ込める状況にある。ただ、裏を返せばこれは政党同士の健全な競争が成り立たず、既成政党は民意を無視して政治を進めているというポピュリズム政治家の言質を正当化してしまうジレンマに陥ることになる。このポピュリズムの挑戦に対して反駁できるだけの経済社会政策上の実績を残せるかに民主主義の将来はかかっている。 

現代は冷戦期のような明確な対立軸はなくなりつつある。だから各国を見ても選挙のたびごとに争点がめまぐるしく入れ替わり、国民は一体、何が問われているか分からない。その一方では、労働環境の悪化や貧困の進展など、目前の課題には改善の兆しがみえない。今の時代の代議制民主主義を時間軸で見ると、特定政権が政策課題に取り組むことのできる時間があまりに短い。腰をすえて課題解決を議論するための長期的な時間をいかに確保できるかが重要な局面になっているのではないか。

 【国家主家 過度な落胆と期待】

―政治家は選挙前になれば有権者に耳障りの良い政策を訴えがちです。

吉田 選挙で決められるものと決められないもの、決めてよいものと決めてはいけないものを分けて、有権者と政治家との間のコンセンサス作りを進めるべきだろう。

どのくらいの予算を投入すればどの程度の効果が出るかなど、政策のデザインをめぐる競争はあるべきだ。しかし、めざす国の方向性については各政党間でおおよそのコンセンサスがあることが、結果として長期的な政策課題の解決に寄与していく。

選挙前の公約でバラ色の政策を掲げ、結果として国民の期待を裏切る結果に終われば、残るのは政治不信だけだ。これがまさに、政治不信につけ込むポピュリズムを招く要因になりかねない。

 ―英国の国民投票では、「離脱」への投票を後悔する人も出ており、一時の感情に左右される民意はあてにならないという指摘もある。  

吉田 自分たちの共同体のことは自分たちで決めるというのが近代民主主義の原理原則。政党政治に馴染まない争点に限っては、国民投票も数ある意思決定の方法として認められるべきだろう。

しかし、国民投票だけに依存すれば、これで国際連盟からの脱退を決めたナチスドイツ時代のようなファシズムにもなりかねない。重要なのは、民意の表出の仕組みや回路、政治参加の在り方を重層的に確保していくこと。社会学者ダニエル・ベルは「現代の政府は個人の大きな問題を解決するには小さく、個人の小さな問題を解決するには大きくなりすぎた」と指摘した。このグローバル化と個人化の間で空洞化しつつある民主主義の隙間を埋めるための回路をこれまで以上に作っていかなければならない。

戦後の例外的な平等で豊かな社会は、二度の世界大戦の結果としてもたらされたということを忘れてはいけない。私たちに今問われているのは、戦争をしないままに、平等な社会をいかに自分たちの手でつくりなおすことができるかどうかだ。

 ―今回の国民投票から何を学べるか。

吉田 このまま英国がEUから離脱してもGDP(国内総生産)の約1割を金融で稼いでいる英国経済は変わらなければ、国連国際通貨基金IMF)から脱退したわけでもない。G7(主要7カ国)の一国としての責任もなくならない。グローバルな時代に国家主権は相対的なものとならざるを得ない。もっとも主権への過度の落胆と期待が交差して、「一国だけでは何もできない」という議論と、「主権を取り戻せば何でも可能だ」という両極端な議論に陥っている。

いまの政治に求められるのは、この現実と理想の隙間を埋めるための努力だ。ビスマルクの言葉を借りれば「政治は可能性の術」。いまの状況で何が可能でそうでないか、丁寧な議論を心がけなければならない。

日本の社会も大きく変わっている。人口減や貧困問題、エネルギーや環境問題など、世代と国境をまたがる問題が山積している。イギリスを揺るがした移民問題についても、これから減ることはない日本の外国人数をみても、いまから議論をしておくことが肝心だ。