「ソーシャル・ディスタンス」の歴史的由来。

 コロナ禍とともに、「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が日常生活にすっかり定着するようになった。「社会的距離」とも訳されるが、なぜ感染を防ぐための物理的距離が「社会的」と呼ばれるのか、長年不思議に思ってきた。リモート・ワークにせよ、時差通勤にせよ、人々との距離を保つ行動は、むしろ社会が社会であるために条件である集団的な経験を奪い取ってしまうのではないか、と。

 

 その疑問は、シカゴ大学院生の論文を最近読んで氷解した。リリー・シェリルス「社会的距離の社会史」によると、この言葉はナポレオン時代のフランスで、皇帝の寵愛を失ったことを嘆く側近が最初に使ったことに起源を持つという。それが、現代的な意味で使われるようになったのは世界で数千万人の死者を出した1918年のスペイン風邪流行の時のことであり、2004年にSARSが流行った際に米CDCが報告書で使用したことで定着したという。

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 同時に「社会的距離」という言葉は、特定人種を遠ざけるための言葉として20世紀前半のアメリカとイギリスで用いられていたらしい。これと関連して、この言葉は社会学調査にも流用されることになり、特定の人種集団が他の人種集団とどのように「距離」を取るのかを意味するものとして、学術用語としても用いられるようにもなったという(『ボガーダスの社会的距離スケール』)。こうした好ましからざる集団に対する距離という意味合いは、動物集団同士が互いに距離をとっていることの研究などを経由して、1990年代にエイズ患者の社会的疎外の文脈においても応用されることになったそうだ。

 

 事実、1910年代後半はスペイン風邪が世界で猛威を振るうと同時に、アメリカで人種問題がかつてないほど、激化した時代でもあった。第1次世界大戦後の動員解除と労働力不足から、南部から北部の工業地帯に黒人が移住するようになり、これに脅威を覚えた白人層が暴行を加える事件が続発、これに抗議する黒人たちが団結、80人近くが裁判にかけられたという。大統領だったウッドロー・ウィルソン大統領を含め、当時の政府やマスコミは、共産主義と暴動を結び付け、白人層の恐怖心を煽った。

 

 1919年に起きた黒人リンチと人種暴動は「赤い夏(レッド・サマー)」として記憶されているが、人種間の「社会的距離」をめぐる問題は、現在のコロナ感染拡大とともに広がり、60年代の公民権運動以上の参加者を得た「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」運動とそのまま重なる。ある調査では、アメリカの白人と黒人関係が悪化しているとする国民は過去20年で最も高い割合を示している。1世紀以上が経っても、依然としてアメリカ社会は「社会的距離」をめぐって煩悶しているのだ。

 

 だから「社会的距離」の取り方は、社会の姿そのものを反映しているのかもしれない。その証拠にコロナ対策においても、アメリカやフランス、日本のように対人不信の高い国ではマスク着用が半強制的である一方、スウェーデンのような高度信頼社会では、死者数の多さにも係らず、街中でのマスク着用は義務化されていない。そうしたことが許されるのも、科学的根拠に基づく以上に、相手が自分を感染させないこと、自分は相手を感染させないことに対する信頼が成り立っているからではないか。

 

 そのような歴史と現状を知る時、やはり「社会的距離」は、社会を空中分解させてしまうものであるように思える。もちろん、距離をとる行為は、自分自身の心身の健康を守るためでもあろう。それでも、その行為そのものが他人への偏見や予断を助長してしまう可能性がないわけではない。「社会的距離」を嫌が応でも要求するコロナ禍は、社会における個人と個人との間の距離がいかにあるべきなのか、反省するための良い教訓となっている。

(『北海道自治研究』321号より改編して転載)