「野党とは何か」。
1993年の自民党の下野、続いて自公政権の時代、2009年の政権交代選挙、続く2012年の自民党の政権奪取――日本でも、自民党の一党優位体制が崩壊してから一程度の時間が経ちました。
2012年から政権を担っている自民党政権はいまのところ堅調のようですが、少なくとも「55年体制」の時のような安定政権は望めません。それは1960年代に得票率のピークを迎え、2000年代に入ってジュニアパートナーたる公明党の協力なくしては今のような議席を見込めないという厳然たる事実があるのはもちろんのこと、55年体制を外から支えていた冷戦構造、内から支えていた高度成長と工業化も過去のものとなったからです。
「自然な与党」としての自民党が消え去っていくということは、是非はともかく、少なくとも政権交代の蓋然性はこれから高まることを意味しており、与野党の立場は入れ替わっていくことでしょう。
このことはまた、議会制民主主義における「野党」とは何であるのか、何をなすべきなのか、どうあるべきなのか、ということを理論的・概念的に考えないといけない時期に、日本も差し掛かってきているといえる筈です。
日本では「ゆ党」や「与党内野党」といった言葉も散見されますが、特定秘密保護法案をめぐる「みんなの党」と与党との関係、集団的自衛権・安保法制をめぐる維新の党・公明党の距離、あるいは民主党と維新の党との選挙協力の在り方、地方選挙で安定した議席数を獲得している共産党など、果たして野党はどのようにあるべきなのかということについては、大きな多様性があります。そうした多様性を反映してか、その局面や状況で何が野党なのかということについて場当たり的で一方的期待や見方ばかりが流通していて(「野党なら対案出せ!」「野党なら反対しろ!」「野党なら黙っていろ!」等々)、それでは何をもって野党とするのか、それが本来果たすべき機能とは何であるのか、ということについては、体系的な観方は提供されてきませんでした。
もちろん例外もあります。かのロバート・ダールによる『西欧における野党』(1966年)は野党研究のダッシュボードとなりました。
Political Oppositions in Western Democracies
- 作者: Robert A. Dahl
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マイルストーンとなったこの研究でダールは、野党とは何かということについて、かなり複雑な概念定義を試みていますが、もっとも包括的な野党の定義として「特定期間に統治する主体Aに対して、統治しない主体Bのこと」だとしています。
ただ、これだけでは、野党の機能や役割について全てが明らかになったは思えません。特に、その野党が政権参加・政権交代を目指すのか、あるいは与党の政策や方針を修正・撤回させることを目的とするのか、政治システムそのものの転換を目論むのか、議会に陣取る政党なのか、議会に足場を持たない組織なのかどうかといったことを基準とした場合、野党のイメージはもっと膨らむことになるでしょう。
実際、現実政治の場において1960年代になって多くの先進国で戦後続いた保守支配が終わり、社民政党の政権交代が珍しくないものになっていくとともに、ダールの切り拓いた「野党研究」の潮流は、低調になっていきました。以降も、翻訳のあるコリンスキー編『西ヨーロッパの野党』(原著1987年)、現在では集中的に野党を研究対象としている数少ない政治学者ルドガー・ヘルムズのものなどを除けば、ダールが切り拓いた地平は、さほど発展しているとは言えないのが現状であるように思います。
Parliamentary Opposition in Old and New Democracies (Library of Legislative Studies)
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日本にあっては、先に言ったように「野党とは何か」ということを考えなければならない状況に(ようやく?)なってきたのに対し、研究状況も盛んとは言い難くありました。そのような欠落を埋めたいという趣旨から、この度多くの研究者の方々の協力と論文からなる『野党とは何か――組織改革と政権交代の比較政治』(ミネルヴァ書房)と題した本を編纂しました。
この本の目的は、序章にあるように、「野党とは何か」という、それ自体は漠然とした問いに対して、具体的な各国の歴史と事例を通じて、答えることにあります。
章題と節を含む、本の構成は以下の通りです(刊行のものと若干異なる可能性もあります)。
はしがき――「否定形」「揺らぎ」「普遍化」の中の野党
序 章 野党とは何か――「もう一つの政府/権力」の再定義に向けて
(吉田 徹)
野党という存在
野党定義の困難さ
狭義の野党、広義の野党 制度的に規定される野党
「ウェストミンスター・モデル」における野党 5
いくつかの野党のパターン
バジョットの見た野党
「野党」の普遍化
「カルテル政党」化していく野党
「パーリア政党」の消滅
「野党性」の範囲――イギリス ドイツ フランス アメリカ スイス
「アクター」「機能」「アリーナ」による野党類型
野党を導く変数
「野党性」の確定
組織変革からみる野党
政党の「制度化」の強弱
本書の構成
第1章 イギリスにおける反対党の党改革と応答政治――「ブレア革命」の再検討
(今井貴子)
政党とデモクラシーの現在
代議制デモクラシーにおける反対党の意義
本章の射程
代議制民主主義と反対党
イギリスにおける反対党の歴史的地位
権力抑制装置としての反対党
イギリスの反対党の特徴
反対党の機能を支える制度措置――地位の保障 金銭面での支援 政策立案上の支援 政権移行(トランジション)過程の支援
事例研究――長期低迷期労働党の組織改革
労働党の組織改革の歴史的背景
「ブレア革命」以前の改革
党大会の改革
ブレア党首の誕生
強力な指導部の構築
選挙プロフェッショナル政党化と応答政治
党本部と党首室の接続
「大衆の党」への変質
中央への資源の集中と総選挙マニフェストの作成
党指導部への資金と専門知の集中
マニフェスト立案過程
党内の反対意見の遮断
応答政治と党の寡頭制化が生んだパラドクス
第2章 ドイツ国民政党の二つの野党期――野党改革は今なお問題か
(野田昌吾)
野党改革の黄金時代
SPD――ゴーデスベルク綱領と組織改革
CDU――「同盟」から「党」へ、「第二の結党」
カオスと「成功した失敗」――SPD、一九八二~九八年
新基本綱領の制定
指導者の不在と統合問題の悪化
一九九八年選挙での勝利への道
成功なき成功――CDU、一九九八~二〇〇五年
野党改革の時代の終焉?
第3章 フランス二大政党の大統領制化――動員様式をめぐる収斂?
(アンリ・レイ、吉田徹)
フランスの野党
長いゴーリスト支配
「二極のカドリーユ」
ハイブリッドな政治体制のもとの政党
小政党の自律性
議席数と動員力のギャップ
政党類型の可能性と限界
「ミリタン政党」と選挙民政党」
「大統領制化」による生存
社会党の組織――一般的特徴 有権者と支持者 党員 党活動家(ミリタン)
組織改革と動員様式の変容
ゴーリスト党の組織――一般的特徴 有権者と支持者 党員 党活動家
組織改革と動員様式の変容
「大統領制化」の中の共通点と差異
第4章 野党なき政党の共和国イタリア――二党制の希求、多元主義の現実
(池谷知明)
第二次世界大戦後のイタリア政治
イタリア政治・政治学における政党――第一共和制・第二共和制
第一共和制の政党政治と野党
反ファシズムの共和国
聖俗・南北・左右の対立軸
極端な多元主義・不完全な二党制・政党支配体制
野党なき第一共和制の終わり
第二共和制の政党政治
選挙制度改革――ゲームのルールの変更
政党の交代
政権交代・二極化と野党の不在
二〇〇五年選挙法と政党破片化
民主党の結党
二〇〇八年選挙と民主党
民主党の敗因
野党戦略の失敗
民主党の限界と課題
野党なき第二共和制
テクノクラート内閣――政党なき大連立
再び「不完全な二党制」
二〇一三年選挙と五つ星運動
特異なイタリア政党政治
多元的なイタリア政治社会
多元社会とウェストミンスター・モデル
第5章 ベルギー分裂危機への道――フランデレン・キリスト教民主主義政党の党改革
(松尾秀哉)
党改革と分裂危機
ベルギー政治の概要
ベルギー政治の概要
先行研究と方法論
先行研究と問題の所在――多極共存型民主主義における野党の意義
党改革の類型
党改革の背景
党改革の過程
前提としての自由党の党改革
CVPの党改革――進展と停滞の二側面
党改革の停滞
野党時代の党改革――「顔」の交代から綱領の刷新へ?
フランデレン主義に傾く政党
野党時代の党改革
帰結としての分裂危機
野党であることの「自己定義」
第6章 アメリカ・オバマ政権の誕生とその含意――「草の根」の動員過程をめぐる考察
(石神圭子)
オバマの登場と「草の根」の組織化
新たな「草の根」動員の「成功」とその背景
コミュニティ・オーガニゼーションの発展
労働組合との連携
コミュニティ・オーガナイジングの歴史と理念
「組織化」の歴史的視座
「組織化」の理念的基礎
「組織化」における参加と説得の意味
コミュニティ組織と「公的空間」の希求
「保守の時代」の組織化「運動」
政党主導の集票戦術と「動員」に潜む問題
二〇〇四年選挙における「キャンヴァシング」の展開
「組織化」と二〇〇八年選挙の意味
「組織化」とは何か
第7章 日本における民主党と政権交代への道――政策的許容性と包括性
(木寺 元)
政党組織管理
政治家の行動目標
政党所属と政党戦略
政策的許容性と包括性
離脱と発言
新進党という壮大な「失敗」
政策的許容性
包括性
民主党の誕生――一九九六〜九八年
政策的許容性
包括性
政策的許容性
包括性
政策的許容性
包括性
民主党の隘路
序章では、上述のような問題意識から、野党についての先行研究や現状、定義の紹介、また本書ならではの独自のモデルを提唱しています。続く各国の実証部分では、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、アメリカ、日本の7カ国について、現代を中心として、その国の野党がどのような存在で、どのような自己改革や組織改革を行って、その趨勢がどうであったのか、という多様なパターンが示されています。
副題にあるように、分析比較の視角として据えたのは潜在的に政権交代を目指す政党が、どのような組織改革を行って行ったのかというものです。このように視角を設定してしまうと、多くの院外(議会外)勢力を排除することになり、また選挙そのものを起点としないため、不十分に感じられるかもしれません。ただ、どのような研究であっても、特定の視点を採用しなければ何も説明できませんし、また7カ国のそれぞれのケースに応用可能な視点がなければ、比較も可能になりません。
バリエーションに富む各章を読めば、少なくとも野党は政権交代を目指すだけの存在ではなく、それ自体の改革や方針転換だけで政権交代が実現するとも限らず、政権に預かった瞬間にそれまでの長所が短所になったりすることもあったりと、その国の政党政治・民主主義の特性によって、野党の在り方も大きく可変的なものであることが理解できるかと思います。そうした意味では、野党を考えることはその国の民主主義を考えることもでもあり、また、その国の民主主義を考えることは野党を考えることでもあるといえるのでしょう。
以下に本の「はしがき」を転載します。
『野党とは何か――組織改革と政権交代の比較政治』(ミネルヴァ書房、2015年)
はしがき――「否定形」「揺らぎ」「普遍化」の中の野党
野党は、民主主義体制にとって欠かせない存在といえる。それは、野党が果たす機能とは、まず与党権力に対して修正や撤回を迫り、いわば政治における「決定」の次元に対して「合意」と「討議」の次元を作り出すことを使命とするからだ。また、与党権力による政治決定が行き詰ったり、破綻したりした場合、選挙およびその他の権力交代の手段を通じ、その政治体制での権力主体のオルターナティブとなり得る。さらに、野党の存在自体が多様な民意を、多元的な回路でもって政治の場に反映することを試み、結果として、場合によっては体制の正統性や安定性に寄与することになる。
このように、民主主義にあって野党は重要な機能と役割を果たし得る存在である。それにも係らず、野党とはいかなるものなのか、いかにあるべきなのかといった点について、国内外を問わず、政治学の領域でも、必ずしも体系的な考察の対象とはなってこなかった。その欠落を埋めようとするのが本書である。
野党が集中的な検討の対象になりづらかったのには、様々な要因が影響している。その理由を、ここでは差し当たって「否定形」、「揺らぎ」、「普遍化」の三つのキーワードで説明してみたい。
1.「否定形」としての野党――野党それ自体は、往々にして政治や政策形成の主体として認識されにくい。それは与党と比較した場合にはとりわけ、いわば日陰の存在とみなされてしまうからである。言い換えれば、野党とは「与党ではない政党」という「否定形」という形でしか規定できないものへと還元されてしまう。しかし、これでは与党の政策に影響を与えたり、修正を施したり、押し戻したりするような、野党の果たすことのできる積極的な役割を視野に入れないことになってしまうことになる。
2.「揺らぎ」としての野党――序章で検討されるように、野党を積極的に定義することは簡単ではない。一口に「野党」といっても、そこには政治体制そのものに異議を唱えるようなラディカルな野党もあれば、政策に応じて与党との協議や調整を担う野党もあるだろう。また、意識的に政権交代を目指す野党もあれば、政権との距離を取り続けることで存在感を示す野党もある。日本で従来の「与党」にも「野党」のイメージに当てはまらない「ゆ党」という言葉が用いられてきたのも、野党とは何であるのかという、こうした「揺らぎ」を端的に証明するものといえる。実際には、政府与党の政策に原理的に反対することだけに留まる野党というのは、それほど一般的であるわけではなく、特に議会での有意な政党であれば、事の大小に応じて、何らかの形で与党との接触や協力関係を結ぶことは珍しくない。そう考えた場合、野党はかなり幅広くグラデーションを描く政治的な主体である。そして、その野党がどの色をまとうのかは、経験的に把握されるべきだろう。
3.「普遍化」した野党――一九六〇~七〇年代以降、さらにポスト冷戦期となって、多くの国では政治体制をめぐる広い政治的対立といったものは後景に退き、体制や政治原理に異議申し立てを行うラディカルな野党といった存在は、先進国では消滅しないまでも、少なくとも希少なものになっていっているように見受けられる。それに代わるかのように目立つようになったのは、政権交代を目指して「政権担当能力」を有する政党であることを意識的に目指す野党である。これは、政権交代が政治経済レジームの転換を意味せず、与野党の入れ替わりが有権者にとっても受け入れやすいものとなり、両者を隔てる境界線が流動的なものとなってきたことを意味する。与野党を隔てるハードルが低くなる中で、国によっては戦後政治において自然な形で与党だった政党が下野するといった事象も生じ、野党はより一般的なものとして経験されるようになった。しかし、こうした現象があることで、野党という比較的わかりやすかった外延もぼやける結果となった。
それでは、このように「否定形」、「揺らぎ」、「普遍化」の中に置かれる「野党」を主語とした政治学は成り立つのか――その答えは当然ながら「是」であると執筆者一同は考えるが、最終的な判断は読者に委ねたいと思う。
本書の成り立ちについて言及しておきたい。
本書の企画のスタート地点となったのは、二〇一〇年度日本政治学会分科会(C2)「野党改革の比較政治」である。編者が企画した本分科会では、本書にも執筆している各氏が「アメリカ民主党:「草の根」の動員過程をめぐる一考察」(石神圭子)、「イギリスにおける野党の組織改革と政策形成過程」(今井貴子)、「野党改革は問題か?――ドイツ社会民主党とキリスト教民主同盟の政権復帰」(野田昌吾)と題した研究報告をそれぞれ行った。その際、分科会で司会および討論者を務めていたいただいた竹中治堅氏、討論者の高橋進氏、そしてコメントや質問をお寄せいただいた会員諸氏に感謝申し上げたい。
当時、編者の念頭にあったのは二〇〇九年に民主党による政権交代選挙が実現し、「自然な与党」として君臨していた自民党が下野した政治状況であり、その後の展開がどうなるにせよ、日本でも与党と野党が入れ替わる政権交代の蓋然性は、少なくともそれまでよりも高まっていくように思えた。ここから、新たなステージを迎えた日本の政党政治における野党の在り方を、各国比較を材料として投射してみたいというのが、分科会企画の趣旨だった。
その後、上記報告の土台となった3本のペーパーがブラッシュアップされ、これにフランス、イタリア、ベルギー、日本の事例を加えて、計7カ国の野党が検討されることになった。これらの国々は、それぞれに異なった形で議会制民主主義の実践をしている。そのような多様性の中に野党を置くことで、その機能と役割もまた多様であることを、強調したかったからである。
しかし、実際に比較をする際には、何らかの分析的視点を持たなければならない。そこで、比較においては、それぞれの国における野党期の組織改革を視点に据えることにした。詳細は序文に譲るが、デュヴェルジェ著『政党社会学』を引くまでもなく、政党の類型や志向は、その政党の政治的位置だけでなく、組織的特性を把握することによって、より良く説明できる。確固としたリサーチ・デザインやモデルを作り上げることは端から目指されていなかったが、それでもどのような組織・制度改革がなされ、それがどのような成果を生んだのか、あるいは生まなかったのかという点については、各章での共通の視座になっている。
一読すればわかるように、これらの国の野党性や組織改革の在り方は、かなりバリエーションに富んでいる。各国野党を分析する際の接近手法や時代区分も執筆者に一任されたのが理由のひとつだが、それはその国の野党の特徴を過不足なく抽出し、より正確に理解するための意図的な選択でもある。そこに表れる野党の多様性は、その国の民主主義の在り方と歴史の多様性がそのまま反映されたものなのである。
最後になるが、こうした野心的な企画を引き受けていただいたのはミネルヴァ書房の田引勝二氏であった。企画は出来上がったものの、実際には執筆者の国内外での移動・移籍や、生活上の已む得ない事情、あるいは予測できない分析対象国の現実政治での展開もあり、刊行に漕ぎつけるまでにはかなりの時間を要することになった。遅々として進まない企画を辛抱強くフォローし、最後の大事な局面で見事なエディターシップを発揮いただいた田引氏に感謝したい。
野党という存在がどのようなものであるのかは、規範的にも、経験的にも導くことができるだろう。そうであることを承知した上で、では、どのような野党と野党イメージがこれから作り上げられていくべきなのか――本書がそのことを考える一助になれば、というのが執筆者一同の願いである。
編 者
以上です。
ここでも触れていますが、本の企画の発端となったのは、編者が企画した2010年の日本政治学会の分科会でした。ただ、その企画を思いついたのは、2009年に民主党が下野したことに伴って、これからは野党についての視点が必要になると感じた時からでした。これは、自民党支持とか、民主党支持とかに関係なく、日本の民主政治を考える上での不可欠な作業であるという確信から来ていました。ちょうど同じタイミングで、ある新聞記者の方から野党論についての企画をしたい、という相談などもあって、我が意を得たりと思った次第です(その企画は様々な事情から実現しませんでしたが)。
考えてみれば、2009年に公刊した『二大政党制批判論』(光文社新書)、2011年に公刊した『ポピュリズムを考える』(NHK出版)のように、人口に膾炙する、重要な政治上の概念であるのにも係らず、学術的には必ずしも十分な検討の対象になってこなかったものを集中的に取り上げてきました。「野党」という存在と概念もまた、同じようなものだと考えています。
90年代の政治改革の時と同じように、「木を見て森をみない」議論、すなわちその時々の制度や動きに反対か賛成かで右往左往するのではなく、まずあり得べき政治や議会の在り方をイメージした上で、個別の制度や組織に反対か賛成なのかを決めるべきでしょう。野党もまた、そのような存在であるべきだと思っています。この本がそのための手がかりとなればと願っています。