「内山秀夫遺稿集刊行委員会」御中
謹啓
惜春のみぎり、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
この度は編『内山秀夫 いのちの民主主義を求めて』(影書房)を御恵投いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。
刊行に当たっては、これまで何度か電子メールでやりとりをさせて頂いておりましたが、遺稿集作成の期間にちょうど在外研究中で身動きがとれなかったこともあり、何のお役にも立てなかったことを、まずは深くお詫び申し上げます。
それ以上に私が内山先生と知り合いになったのは、それほど長い期間ではなく、初めてお目にかかったのが1994年頃のこと、慶応法学部をすでに退職される間近のことだったと記憶しています。その後、新潟国際情報大学の学長になられた時に市内のご自宅に仲間の何人かとお邪魔させていただいたことがあり、その他にはやはり大多数で1、2回酒席(川原彰先生を介してだったか)をともにさせていただいた位の経験しかありませんでした。その程度の人間が内山先生の遺稿集作成に携わるのも恐れ多いという考えもありました。
ただ、それでも先生は当時の私にとっても人としての強烈な印象を残しました。その印象は、こうして先生の書かれた膨大な文章を拾い読みしても変わりません。ご自宅のトイレに太平洋戦争のフィクションものが詰まれていたり、キッチンから山のように缶ビールを出してきたり、誤訳の指摘にも丁寧に応じてくれたり、とエピソードは色々ですが、優しさの中の厳しさ、柔らかさの中の鋭さ、頑固さの中の柔軟さ、厳密さの中の曖昧さ、絶望の中の楽観さなどが、文章からも感じ取ることができ、それはそのまま私が感じた先生のお人柄と直結しています。
これまでも折に触れて内山先生の書かれたものを拝読する機会はありましが、こうしてまとまった形で読めることは大変に有難く、そのような労をとられた長谷川様とお仲間の皆様に感謝せざるを得ません。研究者だけでなく、弟子というよりもゼミ出身者がまとめられたというのも、内山先生の何よりの遺産かもしれません。
私も政治学者の端くれとして日々悩んでいますが、その中で自然と、物事や状況と馴れ合って、思考をとめてしまっている瞬間があります。内山先生はおそらくそのような馴れ合いを許されない経験を生きておられたのだと察しますが、そうした意味で、政治学者として今のタイミングで先生のものを再読して、改めて、この学問が目指すべきところのもの、大事にすべきもののところを諭してもらったように(あるいはそれを考えるべきと誘ってもらったように)感じました。そうした意味でも御礼を申し上げたく、一筆させて頂きました。
全てを意に尽くすことできませんが、略儀ながら書中にて御礼申し上げます。末筆ながら、寒暖激しい折、どうぞご自愛を下さいますようお祈り申し上げます。
謹白
(以上は、本をお送りいただいた内山先生のお弟子さんのお一人にしたためたお礼状の写しです。 内山先生の文章をめくっていくと、「人間」という言葉に何度も出会います。人間を信じ、人間に傷つき、それでもなお人間をあきらめないというのが、内山政治学の根本なのではないかと、改めて感じます)