ワークショップ「〈刑罰〉と〈刑罰論〉の間―現代社会における〈刑罰〉の再定位」

下記の要領でワークショップを開催する予定です。
気鋭の社会学者、刑法学者、倫理学者をお迎えしての討議です。
ご関心あります方は事務局までご一報の上、奮ってご参加下さい。

北海道大学グローバルCOEプログラム「多元分散型統御を目指す新世代法政策学」(基礎理論班)
●ワークショップ「〈刑罰〉と〈刑罰論〉の間―現代社会における〈刑罰〉の再定位」

●趣 意
「多元分散型統御」なる概念は、現代社会において、近代法システムがその社会統御機能の深刻な限界に直面しているとの認識に立ち、それを克服するための自己変革の方向性をいわば概括的に提示したものである。
このように設定された問題群において、法による社会統御の手段として〈刑罰〉が重要な位置を占めることは必然である。しかし、実はこのような刑罰の捉え方自体が、深刻な問いを孕んでいる。刑法は社会統御のための道具ではある、必ずしも万能な道具ではないし、そもそも刑罰に関わる法システムは伝統的に、「道具」を使おうとする社会設計者=アーキテクトの裁量をも縛ろうとする契機を含んできたからである。ここには、<秩序的>なものとしての立憲主義と動態的なものとしての<政治>との相克をみることもできる。

近年、〈刑罰〉を巡る言説と現実は、急激な変化のただ中にある。
その最たるものは、いわゆる「体感治安」の悪化や「犯罪被害者の感情」を大義名分とする厳罰化の傾向であり、これに続いて広く「刑事立法のラッシュ」とでもいうべき状況が進行している。すなわち、社会統御の手段としてこれまでにないほどに積極的に「刑罰」が動員されるようになっているのである。
これは殺人等の凶悪犯罪の領域(ここに飲酒運転によるひき逃げなども含められるだろう)のみならず、経済的犯罪(特に目を引くのが著作権法違反の刑罰の強化である)や生活秩序に対する罪(深町報告で扱われる路上喫煙・ポイ捨て禁止など)などが、より一般的な傾向として指摘される。それでは、〈刑罰〉を巡って同時代的に進行するこれらの事象を、我々はどのように理解し、どのように対処すべきか。

 重罰化を促進する背景には、異質な〈他者〉を排除することで「安心」したいという人々の偽らざる実感があげられる。この背後には、「日本型共同体秩序」の弛緩に伴い、社会規範の機能低下を代替する国家法=刑罰への期待が高まらざるを得ないという要因が予測できる。その意味で、近時の変化は概ね〈民意〉に棹さすものと言える。しかし、刑罰による〈他者〉の排除がかえって全般的な社会的排除を推し進め、逆説的に「共同体秩序」の流動化と再編を招いているとの批判がありうる。また、社会統御の方法としても徒に刑罰を動員することが賢明なアーキテクトの手段であるとも限らない。

 そうであれば、急速に〈刑罰〉に傾斜する近時の動向を批判的に捉え、むしろ〈社会的包摂〉の観点から、犯罪者の社会復帰を促進するような仕組み(「教育」や「治療」)を重視すべきなのだろうか。しかし、犯罪に対して処罰ではなく教育を以て臨むというスタンスは、社会的危険の除去という名目で、人々の自由への積極的な介入や予防的措置を正当化することにも容易に転じ得るという「生権力」や「アーキテクチャ」批判からの指摘がある。これは、立憲主義的な自由主義との矛盾を呈することになる。
この点、刑法は、少なくとも伝統的には、個人の自由な行為選択の余地を留保し、まさにそのことに刑事責任を根拠づけてきた。しかし、社会的統御手段のネットワークの中に〈主体〉が解体されるときには、責任主義もまたその根拠を失い、究極的には〈刑罰〉自体すら解消されることになりかねない。

 本ワークショップは、現代社会における〈刑罰〉を巡って幾重にも折り重なるアポリアに対して、学問領域の垣根を超えた議論を行うことで、何らかの手がかりを見出すことを目的としている。
 社会学者の芹沢一也氏には、近代以降の日本社会における犯罪と刑罰を巡る言説の系譜を踏まえつつ、近時の動向についての全体的な見通しを示していただく。
 その中で、あるいは討論の場において、同氏のモノグラフ『法から解放される権力』で見られる生権力的な刑罰観への警戒感と、近時の著作(例えば『暴走するセキュリティ』)において示される社会的排除への警鐘という、緊張関係に立ち得る両契機を止揚する方途についての示唆を乞う。

 刑法学者の深町晋也氏には、刑法学が伝統的にどのような立場から議論を展開してきたか(「法益」や「責任主義」など)、本ワークショップに関係する限りで簡単に触れていただいた後で、近時の「刑事立法のラッシュ」の具体例であり我々の身近な生活にも関わる、生活環境秩序に関する刑罰の条例化の現状について、刑事立法学の観点から論じていただく。討論では、<民意>を前提とした近時の立法動向に対して、果たして民主的正統性を持たない法律家(法学者)がどのような役割(あるいは「抵抗勢力」?)を演じうるのか、という、法と政治の関係にも関わる問題にも言及していただければと考えている。

 両氏の報告を受ける形で、倫理学者の江口聡氏からは、刑罰の規範的位置づけや限界について論じていただく。特に氏がご専門とされる功利主義的な道徳理論において、刑罰は非常に重要な主題であると同時に、例えば権利論的な他の規範的理論と功利主義とがラディカルな隔たりを見せるという意味で試金石的な論点でもある。例えば、氏の「功利主義的サンクション論の可能性とその限界」(『倫理学研究』37号)においては必ずしも明確にされていない、アーキテクチャ的な社会統御の方向性や、その中での〈刑罰〉の位置づけについて、(おそらく芹沢・深町両氏とは異なる立場から)論争喚起的なコメントをお願いできればと考えている。

●日時:2月25日(木) 14:00〜

●場所:北スカイビル北大法学研究科オフィス
    北区北7条西5丁目南西角:ヨドバシカメラ北向 北スカイビル8階

●テーマ:「〈刑罰〉と〈刑罰論〉の間―現代社会における〈刑罰〉の再定位」

●報告者:芹沢 一也(社会学者・株式会社シノドス代表)
     深町 晋也(法学者・立教大学大学院法務研究科准教授)

●コメント:江口 聡(倫理学者・京都女子大学現代社会学部准教授)

●司会:藤谷 武史(北大法学研究科准教授)
    吉田 徹 (北大法学研究科准教授)


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