俳句を愛する「大統領」

旧聞だがEUの初代「大統領」にヘルマン・ファンロイパイ(Herman Van Rompuy)が就いた。下馬評で名前が取りざたされていた英ブレア元首相を退けて、有力国首脳の支持を取り付けた。

日本のメディアでは、日経新聞などを除けば「なぜ無名なベルギーの首相が?」という疑問や論調が多いように思う。特に、「基軸通貨ドルに代わってユーロが台頭する」という例によって薮にらみでメディア受けしそうな話題が流通し、大前研一が「世界最大長国家」などとEUを称する中では、そのような意見が出てくるのもむべなるかな、と言う気はしないでもない。

しかし、「大統領」がシンボル的な存在でしかないことを考えれば、納得の行く人選だろう。
周知のように、「大統領」とはいっても、実際は議長国の首脳がそれまで半年任期でつとめていた議長を、リスボン条約の発効に伴って任期2年半(一回のみ再選可)の常任にするという話であって、EUはそもそも「超国家」でもなければ、もちろん「EU市民」から選ばれた「大統領」が誕生したわけではない。

フォンロンパイが指名を受けた日、現地のベルギー紙のヘッドラインを飾ったのは、祝賀や誇りの言葉などではなく、「フォンロンパイ首相がいなくなったら誰がこの国を統治できるのか」という、恐れの表現だった。

思い起こしてみれば、2007年6月の総選挙でフェルホフスタット連立政権が崩壊、北部フラマン系と南部ワロン系の対立から、1年近くに渡って新内閣が組閣できない状態を迎えていた。ベルギー政治研究者の間でも「組閣に時間がかかるのはいつものことにしても、今度こそはヤバイかもしれない」という話だった。

1年も持たなかったレテルメ内閣を継いだのが、フォンロンパイ内閣だった。それまで各勢力間の調整と交渉役を精力的に買ってでていた、フォンロンパイは、つまり言語、宗教、イデオロギー、地域間対立を抱える高度に分化している連邦国家をまとめることのできる、唯一の現実的選択肢だったのだ。

英語はもちろんのこと、フランス語(ベルギー国会では、質問も答弁はフラマン語とフランス語どちらで行っても良いということになっている)、ドイツ語にも堪能なこの地味な人物ほど、経済格差にあえぎ、ポピュリズムが台頭し、市民から冷笑されているEUの国々の間の調整役として相応しい人物はいない。

欧州統合を「漕いでいなければ倒れてしまう自転車」と称したのは、シュミット西独首相だったが、EUの目標は「スーパーパワー」になることでも「超国家」になることでもなく、各国の利害を調整し、これを制度化し、平和と自律を可能にする「相対的安定の島」であり続けることなのだ。ブレアのような「やり手型」ではなく、フォンロイパイのような「根回し型」こそが、EUをEUたらしめることができる。その先にあるのは「多極」が共存するヨーロッパのデモクラシーではないか。