ボノによるシラクへの呼びかけ。

bono

U2のBonoによるフランスへの呼びかけが「ル・モンド」(3月23日付)に掲載されました。
ボノはご存知のように、INGOであるDATA (Debt, AIDS, Trade, Africa)を設立して、途上国の債務「グローバルな貧困解決キャンペーン(G-Cap)」や「国連ミレニアム開発目標MDG)」に強くコミットしています。

ちなみに、英文版がTimes紙にも掲載されているので、シラクや大統領選立候補者の名が載っているのは多分に戦略的観点からです。
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1601932,00.html

何れにしても、Bonoが「ヨーロッパ・アイデンティティ」を語っている、という点で注目に値するかもしれません。

以下はフランス語版の仮訳です。

=================================================================

ボノ 「ヨーロッパの構築は世界への開放を意味する」

50年前のこの週、すでに戦後の惨禍を抜け出してはいたが、未だ不安定な大陸においてヨーロッパのアイディアは紙の上で生まれた。火薬の匂いと陰気さはもはや空気にはなかった。

この時アイルランドは、文化的トーテムと常に増えていくディアスポラによって特徴付けられる北大西洋に浮かぶ岩礁に過ぎなかった。フランスが今度はアルジェリアと別の戦争を行っている間、NATOはパリで迫る核戦争の危機という暗雲について話し合っていた。ベルリンでは、西と東の間で存在や境遇、運命を隔てる溝が深まっていった。

この時代、ヨーロッパは次の戦争に備えるために再構築されようとしていた。争いは、イデオロギーやデモクラシーと共産主義との間だけではなく恐らく核兵器による対決をもたらしただろう。頭の中で夢見るのではなく、頭を核シェルターに隠し、そこに1年分のスープ缶を蓄えるために使われた。

しかし新しいヨーロッパはまさにこの時に生まれた。人類がそのもっとも陰鬱な時代を過ごしたこの大陸で私たちはひとつの奇跡、それもすぐれて人間的な奇跡に遭遇したのだ。ヨーロッパの人々は、破壊する能力はまた、偉大な赦し、親愛、希望の能力でもあることに気付いたのだった。1957年に6つの国がローマ条約に署名して、このシンプルではあっても根源的な行為によって、多文化主義、繁栄、国際的連帯に窓を開け放った。

50年後の2007年にアイルランドから来たロックスターは、子供が冷え切ったグリンピースの載った皿を前にしたほどの熱意を持たない条文は、実際には官僚たちにとっておそらく詩篇のように見えるに違いないことを発見した。

実際は溢れんばかり詩などではなく、無機質な表現があちこちに埋め込まれているだけだった。例えばこのEUを生んだ条約は「開発途上国、とりわけ恵まれない途上国の持続的な経済社会の発展」、「開発途上国の貧困との戦い」を促す、と書いてある。トーマス・ジェファーソンが書いた文章ではないかもしれない。しかし、ここにはもしかしたら私たちをアンガジェするかもしれないひとつのヴィジョンを垣間見ることができる。

次の50年間にはもう幾ばくかの詩が必要になるだろう。それも、憲法を制定するためにヨーロッパ人の利益を呼び起こすためではなく。ヨーロッパとは感情を呼び起こすものでなければならない、ということこそが肝心である。もし不正義を追放しなければヨーロッパは存続不可能であり、近隣の人々が自由と平等において私たちと等しく扱われなければ均衡を失うだろう、というような感情を、である。

もし私たちが共有できる使命というものがなければ、私たちは私たち自身の人間性を失うことになるだろう。例えば、鏡をみつめるのではなく、アフリカと私たちを隔てる地中海の対岸13キロ先をみつめてみること。私たちが何者であり、21世紀に何者たりうるのか、私たちと世界の眼に私たち自身の存在理由を示す方法は存在している。

「マイトヒール(meitheal)」というアイルランド語がある。これは、村人が苦難な作業であればあるほど協力する、という考えを指している。多くのヨーロッパ人はそう行動してきた。確かに隔てられている国民として、大概の場合は窓のカーテンを閉めたままに、庭を区切る垣根の中で内輪もめをしてきた。それでも隣の家が火事になれば、火を消すために一致団結してきた。歴史は、人々が近づくためには緊急事態を要した、ということを証明してきた。

ヨーロッパが今日、半世紀に一度の危機に陥っているのだとしても、私のような職業的な自己中心主義者は書物と歌を除いてこの種の理療方法に強く反対する。なぜなら、自己ではなく他者への奉仕こそが、自分が何者であるかを明らかにするからだ。

今日、隣人であるアフリカの家々の多くの部屋で火がのぼっている。ダルフールでのジェノサイド、1つのベッドで6人のエイズ患者が寝るキガリの瀕死者たち、マラリア(この蚊による殺人)で命を失う子供たち、新鮮な水のない村々。私たちヨーロッパ人がある日、紙の上に載せた多くの価値が試されている。

ソマリアスーダンでの出来事は、武装勢力が空白を生めて大多数が親西洋的で穏健なイスラム教であるアフリカ人たち(アフリカの3分の1がイスラム教徒である)に不和を生じさせた結果をまざまざとみせつけている。私たちの使命が道徳によるものか、戦略によるものかは関係がない。これだけの火が延焼するのをただ見ているだけのは狂気の沙汰に等しい。

ヨーロッパの応答はどんなものになるだろうか。言語が行き交い、理念がぶつかり合うこのバベルの(あるいはおしゃべりの)塔は不協和音が満ち満ちているかもしれないが、調和もまた、みかけほどないわけではない。

開発援助、債務、そしてデリケートな通商問題について、アフリカに対する歴史的な約束は取り交わされている。貿易面で障害が生じるほどの汚職に対する取り組みと同様に、これらの禍について意義ある進歩がなされれば、この大陸は変わり、火事の蔓延は食い止めることができるだろう。

ヨーロッパの50周年は、シラク大統領に国家元首として最後の決意を示すきっかけとなるだろう。そして、サルコジー、ロワイヤル、バイルーの3人の候補者にとっても、国際舞台でのフランスの役割と、アフリカに対する失われつつある大胆な約束をどう果たしていくのかを説明する機会ともなるだろう。フランスは、2015年までにGDPの0.7%を最貧困国に振り分けることを目標とする流れの先頭に立つ国である。ドイツが2015年までに同様の約束をしたのも、フランスによる働きかけが大きい。ドイツ統一にいまだGDPの約4%がかかっていることを考えれば、英雄的な決断ですらあった。

経済的苦境にあるとしてもフランスが為した約束が守られければ、全ての貧困国に負の影響が生じることになる。フランスが約束を守ることは、アフリカだけでなく、国にとって根本的な意味を持つということを、最大の謙虚さを持って言っておきたいのである。

私たちの中には、50年前にヨーロッパは自らの力だけで立ち直ったのではない、と強調する者もいる(強調しない者もいる)。大西洋の向こうにはアメリカという国、広い「隣人」の概念を持った国が存在した。アメリカによるマーシャル・プランはもちろん、完全な意味で利他的なものではなかった。両極による冷たさが2つの陣営の関係を冷却する中で、ソ連の拡大を食い止めること防波堤を築くことが大事だったのである。それでも、マーシャル・プランは人類史上かつてない自己犠牲の行為だったことも確かである。この精神は、冷戦を通じてアメリカのアイデンティティーを規定することになった。

この「暑い戦争」を迎えた新しい世紀においてヨーロッパはどのように自らのアイデンティティを構築していくのだろうか。私たちの時代の急進主義に対する防波堤はどこに由来することになるのだろうか。その答えの一部は、13キロ先の対岸にある。

=================================================================