「吉田徹のフライデー・スピーカーズ」三角山放送局(5月29日)でした選曲。

「こんにちわ、吉田徹のフライデー・スピーカーズです」というのも、5月で二回目になりました。まだ慣れません、誰にも向かって喋らないという、このラジオというコミュニケーション。

www.sankakuyama.co.jp

ラジオといえば、やはりルーズヴェルトの「炉辺談話」なんかが思い出されます。最近読んだ本で知ったのですが、ラジオ放送に際して彼は入念に何度もリハーサルをして、最もポピュラーな英単語1000語しか使わず、話したそうです。中々そういう風にはいきません。 

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

 

 そんなエピソードも盛り込まれているこの本、シヴェルブシュの本に漏れず、余りにも面白いので、近々書評をする予定です。

 

さて、今回のフライデー・スピーカーズは、5月7日に投開票があったイギリスの総選挙の総括と今後、ブックレビューのコーナーでは岩本裕『世論調査とは何だろうか』(岩波新書)を取り上げました。

 

イギリス総選挙のポイントは、

-ほとんどの予想を裏切ってハングパーラメントとはならなかった。

-そうした意味で二大政党制が復調したかのようにもみえるが、労働党金城湯池だったスコットランドのほとんどの議席をSNP(スコットランド国民党)が奪ったこともあり、質的にはやはり二大政党制は瓦解過程にある。

-主要政党の党首のほとんどが40代、半分は女性、立候補者もジェンダーでみれば4分の1が女性といったこともあり、これからますます多様なダイナミズムが生まれるはず。

スコットランドの英国からのエグジット(圧力)、英国のEUからのエグジット(圧力、この入れ子構造的なダブル・エグジットに注目すべし。

という風に解説をしました。

 

とはいえ、何と言っても今回の総選挙の敗北者は、どこもハング・パーラメントを予測した世論調査でした。

ということで、ブックレビューのコーナーではずばり『世論調査とは何だろうか』という新刊を取り上げて、紹介しました。 

世論調査とは何だろうか (岩波新書)

世論調査とは何だろうか (岩波新書)

 

 著者の岩本さんは、長年NHKの記者と解説者を務め、今はNHK放送文化研究所で実際に世論調査に携わっている方で、非常に平易な形で、素朴な疑問点にも丁寧に解説を施しています。ブータンの幸福度調査には大きなトリックがあり、その結果、同国は世界で一番幸せな国として有名になった、といった小ネタもあります。

 

詳しくは、三角山放送局ポッドキャストでどうぞ。

http://www.sankakuyama.co.jp/podcasting/endo.html

 

ちなみに、流した曲はもちろん、著作権の問題でポッドキャストでは聴けません。前回もそうでしたが、番組で取り上げるテーマと関連した曲を毎回選んでいます。今回は以下のラインナップでした。

1.Elvis Costello - Shipbuilding Elvis Costello - Shipbuilding - YouTube

日本ではロマンチックな曲を歌うことで知られるコステロですが、この曲はサッチャー政権時代のフォークランド紛争を題材にしたもの。戦争のための造船で潤う父親の息子が出兵している、というストーリーです。戦争の矛盾を痛ましく歌っています。

 

2.Genesis - Land Of Confusion Genesis - Land Of Confusion [Official Music Video] - YouTube

86年発表のヒット作です。イギリスの人形風刺劇Spitting ImageをPVで使ったことで有名です。サッチャーレーガンカダフィ大佐なんかが出てきます。

 

3. Annie Lennox - Walking on Broken Glass Annie Lennox - Walking on Broken Glass - YouTube

これは政治色はありません。単にアニー・レノックススコットランド出身で、熱心な慈善活動家でもあるという流れです。

 

4.Chumbawamba - Tony Blair Tony Blair- Chumbawamba Ltd Edition single (with lyrics) - YouTube

「Tubthumping」で一躍有名になったChumbawambaですが、筋金入りのサッチャー嫌いでも有名でした。この曲は、97年に政権交代を果たしたブレア首相を「お前の約束したことは全部ウソだったじゃないか」と首相を「嘘つき」と張り倒しています。

 

5.Boy George - The Crying Game BOY GEORGE The Crying Game - YouTube

これも特段メッセージ性のある曲ではありませんが、ニール・ジョーダンIRA紛争を描いた同タイトルの感動的な映画にちなんで。この曲はリメイクなのですね。

 

6.Billie Holiday - Strange Fruit Billie Holiday - Strange Fruit - YouTube

1937年の曲。「Strange Fruit=奇妙な果実」とは、当時のアメリカ南部で横行した黒人のリンチで、死体を木にぶら下げていたことを表現しています。『世論調査とは何だろうか』の中で、1936年の大統領選の際にフランクリン・ルーズヴェルトの勝利を見事的中させた米ギャラップ社の話が紹介されていたので。

 

7.Bob Dylan -  Blowin in The Wind Blowin in The Wind - Bob Dylan - YouTube

60年代のアメリカの公民権運動での代表的なプロテスト・ソングです。「友よ、答えは風の中に舞っている」とさわやかな答えに対する問いは「どれ位の死者が出れば、余りにも多くの死者だと彼はわかるのだろう?」だったりします。。世界広しとはいえども、兵士だから死ぬかもしれないのは当たり前、といえる国の指導者はそう多くいない筈です。

 

ちなみに、『世論調査とは何だろうか』では、近年、ネット調査を取りいれた調査会社のユーガブ(YouGov)に注目して論じています。この会社はもともと、労働党の広報戦略を担っていた人物を含め、保守党の政治家なども参加して立ち上げた若い会社ですが、瞬く間に、世界的な知名度を確立しました。日本でも自民党がITの広報戦略に重点を置いたり、逮捕された川口浩氏も政治家だった経歴を活かしたことなどもありますが、やはりそこに至るほどの「成熟度」はないようです。

それでも、ユーガブも今回の総選挙はハングパーラメントになる、と予想していました。現在、イギリスでは世論調査会社で作る「英世論調査協議会(British Polling Council)」が専門家委員会を設置して、選挙結果をなぜ間違えるに至ったのかを科学的に検証するそうです。こうした態度こそ参考にしたいと思いますが、「その答えは風の中に舞っている」ということでしょうか。

 

御後がよろしいようで。

次回の吉田徹のフライデー・スピーカーズは7月31日です。

 

 

「くじ引き民主主義」を考える。

去る統一地方選挙では、選挙の結果云々よりも、その前から無投票選挙の多さが注目されていた。千葉県や埼玉県などの首都圏でも無投票選があったから、地方に限った話ではない。道府県議選では選挙区の33.4%、総定数の21.9%が無投票で選出され、これは記録の残る1951年以来の高水準という。

 

 地方自治体が果たすべき役割と期待がこれまでになく増す中、その民主主義が空洞化しているというのは、笑うに笑えない状況である。もっとも、人口流出といった構造的な流れや、議員のリクルートメントやインセンティブをどう育むかなどの制度的問題、各党の選挙戦略などが複雑に絡み、簡単な解決策は見出せそうもない。

 

ただ、旧来の代議制民主主義が空洞化しつつあるのは、どこの先進諸国でも一緒だ。そこで、ヨーロッパの運動家や政治学者らが注目しているのが、「くじ引き民主主義」だ。

 

 なぜ「くじ引き」なのか。古代ギリシャ古代ローマ、あるいはルネッサンス期のイタリアまで、近代以前の民主政治では、統治者の選出にくじ引きが普通に用いられていた。古代ギリシャでは、行政官や裁判官を含む公職の約9割がくじで決まった。政治学者E.マナンの見立てでは、近代になって選挙を通じた代議制民主主義が採用されたのは、民主化を嫌った貴族層が自らの支配を正当化するための方策だったからだという。つまり、統治者と被統治者の同一性と平等性を前提にする「くじ引き」民主主義は、失われた民主政治のもうひとつの発展経路だったのである。

 

 夢物語をいっているのではない。21世紀に入って、既存の民主主義が機能不全を起こしているとされる中で、再発見されたのは、このもうひとつの民主政治だった。アイルランドでは2012年に憲法改正内容を討議する「憲法会議」が設置されたが、その構成メンバー100名の過半数を占めたのは議員ではなく、くじ引きで選ばれた有権者66人だった。経済危機で破綻の憂き目にあったアイスランドでも、市民の発案でもって、2010年にくじ引きで選ばれた市民25人が新憲法制定会議に陣取った。

 

 その他にも、(西)ドイツやアメリカの自治体では1970年代から、やはり抽選で選ばれた「市民陪審員」が政策形成に携わる制度や、デンマークでは倫理的な問題について討議する「コンセンサス会議」などで「くじ引き」が用いられている。カナダのブリティッシュ・コロンビア州では、抽選された市民が討議して決めた選挙制度を住民投票にかけるといった試みもあった。また自治体財政の支出の一部を市民自らが決めるといった制度を整えた国もある。

 

こうした動きを受けて、やはり地方議会での候補者不足に悩むフランスのあるシンクタンクは、地方議会の1割をくじ引きで選ばれた住民に割り当てるべき、と提言している。これらに共通しているのは、行政ではなく、飽くまでも立法のプロセスを一般有権者に開放することにある。

 

 日本でも、司法の場では裁判員が抽選で決められている。ならば政治でも同じことができないわけがない。「衆愚政治に陥る」「ポピュリズムになる」といった指摘もあるかもしれない。裁判員制度が決まった時、死刑が増えることになるという指摘と同じだ。「プロ」に任せておいた結果が無投票選の増加なのだとしたら、もはや選択の余地はない。「能力」ではなく「資格」を条件にして、民主主義の空洞を埋める必要性に迫られている。

 

もちろん、全ての公職を多忙な市民に委ねることはない。古代アテネでも、軍事や財務に係るポストは専門家に任せられた。民主政治は単に市民の代表の定期的な選挙だけに還元されるものではなく、独立した司法や専門家委員会や、住民投票といった多種多様な回路が交差して成り立っている。そのメニューの中に「くじ引き民主主義」があっても、悪くはないだろう。

(『北海道自治研究』555号より転載)

 

(4月27日追記)

 政治学理論家のヤン・エルスターも、「子供が能力じゃなくてくじ引きの結果たまたま学校に入れなかったと聞いて安心した」というある親の証言を引いて、「合理的選択論」などより、くじ引きの方が選択のためにはよほど公正=効率性が高い、と指摘します。

www.booksandideas.net

 ちなみに日本でも総理大臣と衆議院議長をはじめ、公職者の選出には「くじ」が用いられる場合もあることを定めています(議院規則の第18条など)。こうみてみても「くじ引き」は決して荒唐無稽な選出方法ではないことが解ると思います。

 

 

「右傾化」は「左傾化」とともに。

4月11日の朝日新聞(朝刊)で掲載された「右傾化」についてのインタビューに刺激されたわけではありませんが、「右傾化」を論じる場合は、国を問わず、中々に難しいものがあるようです。

(ちなみにさやわかさんの議論のするどさに驚嘆しました)

私のフィールドのフランスの事例でいうと、極右・国民戦線の台頭などもあり、やはり2000年代に入ってから「右傾化(droitisation)」の議論がされてきました。確かに社会が「ぎすぎす」してきて、治安や安全保障についての争点が訴求力を持ってきたという意味で日本と似ているのですが、他方ではかなり綿密な意識調査をしてみると、異文化や他者への寛容度はむしろ高まっているというようなデータもあり(こうしたデータは上のインタビューでも指摘されています)、中々まとまったことは言えないというのが相場になっています。アメリカでも、マイノリティに対する寛容度が高まる一方、政治的急進主義が進んでいるという実態があります。

その「微妙さ」を前提としないで、「右傾化している」ということを所与として語っているのは中野雅至さんの本かもしれません。

色々と「脇の甘い」部分もある本ですが、「日本は右傾化しているのか?」を問う議論を展開しているというよりも、「右傾化とは何か、なぜ生じるのか?」という問いに答えている本として読むべきなのだと思います。

一方で、独自の調査でもって、特に若い世代は「右傾化」していない、とする論者もいます。

ただこの本も、既存の右傾化している日本の保守思想・言論へのアンチテーゼを打ち出すのがメインになっており、果たして実際に右傾化しているのかどうかについては、データが偏っていることもあり、やはり判然としません。

さて、「右傾化しているのか?」ということを考えた時、実際にはどうなのでしょうか。

ネトウヨ」という呼称が一般化して極右的な言説が垂れ流され、反韓デモにヘイトスピーチ、「マスゴミ」批判のシュプレヒコールをみると、確かに「右傾化している」と言いたくなります。2014年の都知事選では田母神俊雄候補が獲得した61万票のうち、得票数の4分の1(24%)が20代だったことを取り上げて、若者の右傾化とする議論もあります(ただ、投票率をみればこれはやや言い過ぎではないか、という上の古谷経衡の指摘もありました。そもそも世界の中で最も厭戦意識の高い青年層を抱えているのは日本です)。

ここではこうした論争に決着を付けることなど到底できません。ただ、いくつかの手がかりを提示できればと思います。

ただこうした議論を展開する場合、やはり何を持って「右傾化」とするのかという基準が明らかでないと曖昧な議論にしかなりません。恣意的な基準を避けて、一番簡単なのは、自らをどう位置づけているのかということを訊ねることです。

そうすると、国際比較調査の「世界価値観調査」では、2005年に自らが右寄りでも左寄りでもないと考える日本の有権者は、7割近くと、圧倒的多数を占めることになります。これは新聞社による同じような世論調査でも同様の傾向が出ます。

他方、NHK放送文化研究所の調査(2010年)によると、「保守的」と自己定義する有権者は60%、「革新的」とするのは38%でした。また、内閣府の「社会意識に関する世論調査」でみると、2005年をボトムに「個人の利益より国民全体の利益を大切にすべき」という意識が2005年には最低の37%だったのが、2013年には53%に増えています。さらに「国を愛する気持ちの程度が強い」とする有権者が2000年には46%と最低だったのが、2008年に57%、2013年に58%と右肩上がりになっています。これだけを拾うと日本が「右傾化している」という指摘は正しいかのようにもみえます。

ただ、そうした場合、問われるべきは日本の右傾化は安倍政権自民党政権云々の話ではなく、もっと長いトレンドの中で捉えなおすべき事象であり、北朝鮮をめぐる危機、中国の台頭、3.11によるセキュリティ重視志向など、複数の要因が絡んでいると考えなければなりません。

もうひとついえば、右(傾化)という概念は、左(傾化)という概念と対になっていることを前提にしないとなりません。右も左も、相対的な概念だからで、絶対的に論じることはできません。

歴史的には、右派的価値は「個人」や「伝統」を重視すること、左派的価値は「平等」や「理性」を重視することと考えられてきました。それに最近では「秩序」や「権威」を重んじる「保守」、「自決定権」や「自律」を重んじる「リベラル」の軸が交差するようになりました。

言い換えれば、価値をめぐる問いがあってはじめて「右傾化」しているかどうかを論じることが可能になるのです。一言に「右傾化」といっても、政治と経済、社会で「右傾化」が何を意味するかは矛盾することがあります。例えば政治での「権威」と「経済」での自由競争は対立することがあり、さらに「保守」と「右派」、「リベラル」と「左翼」も同義ではありません。

何れにしても、「右傾化」の是非云々以前に、まずはそのセットとなる「左派的価値」がどう再定義され得るのか、そこから対立線上に「右」や「保守」を位置づけるということも考えるべきではないでしょうか(それゆえ、「9条改正」と「改正反対」が最もわかりやすい右と左の事例だったりするのです)。その様々なマトリックスを完成させて、はじめて右傾化についての議論が可能になるように思います。言うなれば現下の「右傾化」をめぐる議論が混乱しているのは「左傾化」の議論が不足してるからと言えそうです。

ちなみに、その際に大事にしなければならないのはイギリスの心理学者アイゼンクの指摘でしょう。アイゼンクは戦後イギリスの保守党、自由党の支持者が「柔らかい心」を持っていて、共産主義者やファシストが「堅固な心」を持っているという調査をしています。この「堅固な心」に対していかに戦うか――それが今の時代の「左派的価値」の再定義につながる筈です。

 

「『55年体制』に政治の本質をみる」(大阪版 毎日新聞夕刊3月26日付「ぶんかのミカタ」より転載)

  今では誰もが当たり前に使う「55年体制」という言葉は、半世紀も前に政治学者の故升味準之助氏が発案したものだ。彼は「現在の政治体制の構成がいつできたかときかれれば、私はためらわず1955年と答える」とその論文「1955年の政治体制」(1964年)で書き、この言葉は70年代になって人口に膾炙するところとなった。

 ここで言う55年体制とは、工業化に伴い自民党社会党の票田が全国に拡散したために、両党とも組織化を余儀なくされ、これが利益団体と官庁との癒着、派閥の誕生を促す、というものだった。枡味氏は、保革のイデオロギーは違えども、似たような利益媒介と組織構造を持ち、議会で馴れ合う構造を「55年体制」と呼んだ。

 面白いのは、升味氏が55年体制とは、何らかの長期的な意図によってなされたものではなく、社会党自民党が単に互いに票を競い合うために選択した偶然の結果だ、としたことである。いわく、それは「耐震計算も水圧計算もなされていない」「かりそめのダム」でしかなかった。必然ではなく、偶然としての体制だったのだ。この体制は時代を追うにつれて堅牢で強固になっていったが、少なくとも最初の10年くらいは、まだ不確かなものに見えたのである。

 この55年体制は1993年に自民党の下野でもって終焉を迎える。しかしそのスタートが計画的でも意図的でもなかったのと同じく、その破壊も偶然だった。それは竹下派の後継争いの結果から起こったからだ。前年の参院選自民党が勝利していたことを考えても、崩壊は予期されたものではなかった。

 それから15年後、政治主導と脱官僚を唱え、結党から10年をかけて一貫して政権交代を計画的に追求してきた民主党は、2009年に念願を果たした途端に失速をしていった。当時の民主党マニフェストにみられるように、入念に準備されたポスト55年体制は、むしろとても脆弱で、数年と持たなかった。

 計画されたものよりも、偶然に始まった政治の方が柔軟で持続する――ここに歴史の皮肉がある。15世紀の思想家マキャべリは『君主論』で政治が持つ固有の特性を説明して、それは科学などではなく、その時々に襲い掛かってくる「運命」をどう統御するかの戦いでしかない、と強調した。そして、「運命の女神」は果敢で乱暴で大胆な政治家にしかほほ笑まないとした。鳩山由紀夫氏が政界入りした時のスローガンが、「政治を科学する」というものだったことを思い出すと、マキャべリのこの言葉は示唆的である。

 しかし、そう考えると、運命の女神を味方に付けたかのようにみえる、今の首相の思惑も実現しないかもしれない。今まさに手をかけようとしている「戦後体制(レジーム)からの脱却」は、安倍晋三氏が10年も前からを唱え続け、政権に復帰してからも準備に準備を重ねてきたものだからだ。彼が主張するように、「戦後体制(レジーム)」はかりそめのものだったかもしれない。しかし、政治とは常にその主人公たちの思惑を超えて展開していくものだとしたら、実はそう簡単に瓦解などしないダムであるのかもしれないではないか。

 

(※脱稿時のものなので活字になったものと若干の相違があります。普段は活字プレスの論考などは転載しないのですがローカル版かつ夕刊ということで許して下さい)。

 

青少年の国際意識比較調査(フライデースピーカーズ/三角山放送局で話したこと)。

 

この間は、FMラジオの三角山放送局(@札幌)での初メインスピーカーでした。2時間の番組ですが、曲とCM入れれば実質トークの時間は1時間強、意外とすぐに終わってしまいます。

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隔月で最終金曜15:00からの番組で、北大公共政策大学院の同僚の遠藤乾さんと交代で担当します。

遠藤先生の場合はほとんど毎回ゲストをお呼びしているように記憶していますが、私の場合は、コーナーを2つ作ってお届けすることにしました。

1つ目は、その時々の時事解説「ニュースそこが知りたい」。

2つ目は、話題の本やピックアップした本を紹介する「ブックガイド」です。

 

3月27日の放送の①「ニュースそこが知りたい」では、投票年齢の18才引き下げについて、②「ブックガイド」ではまだまだ話題の(いまさらの)T.ピケティ『21世紀の資本』の内容を、著者の人となりとともに紹介しました(ちなみにこの本の最大の裏メッセージは、人類は戦争がないままに平等な社会を築くことができるのかだろうか、という問いかけだろうと思います。イギリスやアメリカの所得税や資本課税は戦争遂行のために設けられたものでもあります。)。

 

①で話したポイントは以下の4つです。

-投票権の18才への年齢引き下げは日本の民主主義のいわゆるグローバル・スタンダード化。

-ただそれだけで若年層の投票率が上がるとは考えにくい(これは3月6日付けの日経新聞にコメントしました)。

-引き下げは憲法改正を視野に入れた国民投票法と関係していること。

-選挙だけでなく、成人年齢も併せて引き下げられることも附則として法案には盛り込まれており、そうすると少年法や消費者法などに大きく関係してくること。

 その上で、日本の青年層の政治や社会への関心が低くないこと、他方で強い不満を持っていることをいくつかの数字で紹介しました。細かい数字なので、以下、再掲しておきます。

 

よく引かれることもある文部科学省「世界青年意識調査」(日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、韓国の18歳から24歳を対象にした2009年の調査)によると:

日本の青年で政治に関心があるとする者の割合は58%(ちなみに2003年には47%)

アメリカ(54%)、韓国(50%)、フランス( 43%)、イギリス( 33%)を押さえて6カ国中トップ。また、ボランティア経験への関心も高い。

 

シンクタンク「政治革新財団(Fondapol)」による25カ国(アメリカ大陸、西欧、東欧、中東などの16〜 29歳)の青年を対象にした調査(『世界の若者』2011年):

-日本の青年のうち「人生に満足している」と回答しているのはわずか45%(各国平均77%)。
経済的な不満については、日本75%(平均59%)、

仕事への不満については、日本60%(平均43%)

自分を社会の一員であると感じるとする回答は64%(各国平均74%)

上の世代の年金を負担することについて50%が反対、35%が賛成(アメリカは反対

47%賛成41%、カナダは反対17%賛成77%、ドイツは反対36%賛成56%)

-「人は選択・行動によって社会を変えられると思うか」という問いに対して、否と答えた日本の青少年は70%(25カ国中ハンガリー( 65%)に次いで最も高い数字)

-投票は義務だと思うかという問いに対して、正と答えた日本の青年は 80%(平均81%)。

 

色々と留保はつけられますが、こうみてみると、日本の青年は政治や社会に関心をそれなりに持っているものの、国際比較でみれば(色々な意味でこの点を強調しておきますが)自分を取り巻く環境については強い不満を持つとともに能動的な変革の意識は低く、他方で世代間の負担については冷淡である、といった傾向を持つことが伺えます。