復興が問題なのではない、いかなる復興なのかが問題なのだ。
海外にいると、地面の揺れを感じない代わりに、映像情報に頼るので、感情が増幅されて逆に眩暈のようなものを感じます。当地でも、学生がチャリティや日仏学生の会合をしたり、日本人学校がバザーを開催したりと、出来ることやっています。
私の生業はモノを書き、喋ることにありますから、その範囲で出来ることをしたいと思っています。
さしあたって、3月26日付けの北海道新聞(夕)に「現代文明の矛盾 多様なリスク共同管理」、それから3月30日付けの朝日新聞(朝)に「リスク制御を世界が注視」という文章を寄せました。社会学者ウルリッヒ・ベックの論を下敷きにした趣旨は両方とも一緒で、世界の先進国が現代に共通する危機として「リスク」を抱えていること、それゆえ日本が復興に向けて背負っている課題は大きいものであることを主張したものです。もう一本、フランス人の研究者と連名で、フランスの地方紙にも寄稿予定です。
今回の大震災の原因(少なからず人災です)や諸々の責任追及はもう少し先でもいいかもしれません。まずはどのような形で復興への道筋を描くか、これによって「ポスト3.11」の世界は大きく変わってくるはずです。
そうしたところに少しでも希望を見出すことができれば、と願っています。