小さな国の長い物語。
最近、欧州関連ニュースをにぎわせたのは、スイスでのミナレット(イスラム教寺院の塔)建設の可否をめぐる国民投票(57.5%で禁止案が可決)だったが、もっと地味だが欧州の歴史を感じさせてくれるニュースもあった。
11月25日に逝去したのは、セボルガ公国の君主であるジョルジオ一世。
ヨーロッパの一国、「セボルガ公国」という名前に聞き覚えがなくとも当たり前で、この「国」はフランス国境に面しているイタリア・リグーリア州にある、ミモレット栽培を産業にする住民2000人の小さな村である。
このセボルガ公国、1963年に一方的にイタリアから離脱することを宣言、それから独自のナンバープレート、貨幣、切手を発行、ミニ軍隊までを取り揃えて、立派な「独立国」の体裁を整えた。
セボルガ公国の歴史は古く、900年代のサンミケーレ修道僧たちによって建国され、その後神聖ローマ帝国の一部となった。イタリア建国のプロセスを主導することになるサヴォイ公国とサルディニア王国がこの領土を編入することになったわけだが、余りにも小さな領土であったためか、その記録すら残っていないといわれる。
この事実があったためか、その後1815年のウィーン会議でも、1861年のイタリア統一王国でも、はたまた1946年の共和制への移行時にも、この地方はデフォルトでイタリアのものとされ、正式に領土編入されなかったそうだ。
これに目をつけたのが、この地域のミモレット栽培共同組合長だったジョルジョ・カルボーネ、後のジョルジオ一世である。
もちろん、この地方の住民はイタリア政府に税金を払うし、選挙権もある。一方では、20数カ国から承認されている立派な国でもある。
このイタリア版「吉里吉里国」が誕生した歴史の皮肉や本気度をみるにつけ、ヨーロッパが持つ「不思議さ」に思いを馳せざるを得ない。
セルボガ共和国ウェッブサイト
http://seborga.net/index.html