短くも長く、つらくも楽しく、

ブログに書くことでもないのですが、先日正式に博士号を取得しました(博士(学術)「フランス社会党の政策転換−リーダーシップを介した社会主義から欧州統合へ」)。所属・提出先が旧教養大学院であるので、「がくじゅつ・はかせ」ということになるのですが、それでも「学術=リベラル・アーツ」の「ドクター」であることに、少しばかり誇りを持っています。

内容は、1970年代のフランス社会党の(再)結党から筆を起こし、公開が始まったばかりの一次史料や相次いで出版されている当時の主要アクターの手記を用いつつ、83年にミッテラン=モーロワ政権のもとで採られたいわゆる「転換(turnaround/tournant)」を中心に、ミッテランとそのフォロワー達の相互関係を描いたものです。

従来、この出来事はネオ・リベラリズムグローバル化が本格的に始まった時代に、アナクロ社会党の経済政策を採用した政権に責任があり、従って経済的要因こそが「転回」の主要因である、という解釈がなされてきました。これに対してこの論文では、むしろリーダーたるミッテラン第一書記/大統領と、フォロワーたる派閥/閣僚たちとの相互作用の過程に光をあて、その関係性の変化がそのまま政策の変遷と結果を導き出した、という解釈を提出しています。

本文でも引用しましたが、歴史家M.ブロックがいうように、歴史とは「極めて冷徹な文書やそれを制定した者たちから非常に離れたようにみえる制度の背後にあるもの」、すなわち彼がいう「伝説的な食人鬼」が追い求める「人間」が作り出すものです。疑似科学を目指すようになった政治学全盛の時代にあっては、やや口幅ったくはありますが、政治とは生身の人間が作り出すものであり、そしてこの人間が生み出す政治によって共同体の運命はいかようにでも変更することができる、というのが論文の(学術的貢献ではなく)メッセージです。

もう、というか、ようやく、というかは人によって受け止め方が違うかもしれませんが、博士課程に進学してから5年間、修士から数えれば7年間の研究の結果です。最初は、このテーマで修士論文を書こうと思っていたのですが、ちょうど修士1年の秋に、鈴木一人先生がやはり同じテーマで修士論文を書いていたことを知り、「このままでは超えるような論文は書けない」と思って、テーマを変更しました。博士課程の時間があればそれ以上のものが書けるだろう、と腹をくくり、資料集めと執筆に結局実質的には4年ほどかかることになってしまいました(それでも鈴木論文以上のものになっているかどうかは自分では解りません)。

完成するまでは短くも長く、つらくも楽しい「旅」でした。その間に出会った内外の同業者やアーキヴィスト、あるいはインタビューに訪れた政治家・アクターたちと出会えたのは、やはりこの「旅」の財産というべきでしょう。あるいは、数年前の自分の誕生日の日に、ミッテランが愛用していた青の万年筆のインクの筆跡の後を公文書館でみたのは、思いがけないプレゼントでもありました。

今現在、提出したものを再構成/校正しており、来年中には有難いことに、助成金なしで法政大学出版局から出版がなされる予定になっています。

また新たな「旅」を楽しみにしたいと思っています。