ロゼッタ。

「私はきちんと仕事しているのになぜクビにされるの!」
「試用期間が終わったからだ。それ以下でもそれ以上でもない」
トレーラーハウスに暮らす彼女は、それでも人間としての尊厳ある生活を続けるためのプライドを保とうとする。彼女は単に生存しようとするのではない。人間らしく、生きようとする。そうしようとするからこそ彼女は孤独になっていくという悪循環に巻き込まれていく。それは誰にも批判できない痛々しさではないのか。

労働を通じた人間としての尊厳と回復。
ダルデンヌ兄弟が常に描こうとしてきたのは、仕事を通じた自己実現などではなく、日々の糧を得る手段である労働によって獲得され得る「人間らしさ」の物語だ。それは、貧困というものが極めて日常的な風景をなしている都市生活の苦難を前提としているものでもある。ここでの貧困とは、経済的苦境だけを指すものではない。確かな人間関係であり、暖かい食事であり、社会的承認のことでもある(『クローズアップ現代』参照)。
舞台はベルギーでも、そのような原風景がない限り、フランスのCPEに対する国民(特に若者)の拒否反応もまた、理解できないような気がする。同時に、人間とはディーセントな存在であらねばならないという規範と、貧困と表現される生活のリアリティが我が物になるかもしれないという想像力もある。68年の学生運動のようなロマンチシズムでも、「国内植民地」と総括されてしまうような反転したオリエンタリズムですらない。

ボクの書斎には「われわれはみんなロゼッタだ」と書かれた、パルムドール受賞の際のダルデンヌ兄弟による感謝広告が飾られている。