TS先生の思い出。

先生と初めて会ったのは何時頃だろうか、私が大学院生の修士2年のときだったように記憶している。ゼミにおずおずと行くと、奥の方にしかめっつらをして、言葉少なげに学生に指示をする先生がいた。

大学院で何を学んだのですか、と請われれば「TS先生のスタイルです」と答えることだろう。それくらい、多くを学んだ。

最初、先生のお人柄に触れたのはご本人ではなく、その周りにいた院生の人たちを通じてのように思う。それぞれの専攻分野はもちろん、性格も年齢も違う人たちが、先生を見守るようにして、それでいて慮り、その指示を先回りしててきぱきゼミを進めていくのをみて、「(色々な意味で)偉い先生なんだな」と感じたのがファーストインプレッションだったかもしれない。ゼミも後半になると、自然にタバコに手が伸びる。

例によっておっちょこちょいな性格なので、ゼミが何回か進んだ後にゼミコンパにおずおずと着いていった。二次会の席にいたのは、NさんとYさんほかだったように記憶しているが、そこで先生が展開されたのは、近い人たちの、いってみればふがいなさについてだった。

先生はよく酒場で悪口をいった。でもその悪口はもちろん人に対する怨念や恨みなどではなく、アカデミズムの世界で「いけていない」ことをしている人たちに対する怒りだった。「いけてるか」「いけてないか」―人間社会の縮図である酒場の振舞いの全てだ。だから、どんなに酔っても、筋違いのことや間違ったことはいわなかった。確かにひどく酔うことはあっても、それは酒を飲んで議論するというスタイルを崩すまでには決して至らなかった。論理を重んじるのではなく、直感を信じた。だから、人に対する気遣いは決して怠らなかった。時折みせる甘えん坊(といってはとても失礼だけど)なところは、むしろチャーミングさだった。だから、学生だけでなく、多くの人たちに慕われた。

鋭く、優しく、愛嬌がある。人間にとっての全てだった。

先生の近くにいればいるほど、先生の寛容さや努力家の側面、そしてそれに比例するくらいのシャイさもあった。

結果的に常連になったゼミで、学部生が文献報告をするのに、口にプラスチックの棒をくわえて話す、なんてことがあった。傍からみても、それこそ棒にも引っかからない報告でもあったのだが、先生は「ラップ調で報告してもらいました。じゃあ、討議に入りましょーう」と優しく促した。大学の廊下の隅でうろうろしている学生をみかけると「あいつ大丈夫かな?」と気遣い、学生が元気がないと「ちょっと気にかけておいて」とフォローした。「ボクは楽しいことがしたいだけだから。それだけ!」というのが口癖だった。

なるべく人前で話し、それも国際的な場で修行を積んで、色々な人と話すことで、自分を相対化するような機会を学生に与えようと、並々ならない時間と労力を使って、場をセッティングしてくれたのも先生だった。それがどれほど私の財産になったことか。少しでも学生たちの利益になることについては進んで引き受けた。あれだけ酔っていて、宴会の場所で、自分より目下の人に、自分から挨拶をしに行くようなことは、強烈な使命感がなければ中々できないことではないだろうか。

先生と神保町の薄暗い酒場で2人きりになると、何か突っ込んだ話をするわけでもなく、朝方になっていた。「ボクは前々からYさん(=私)と気が合うと思っていたんだ」なんていわれて、困ったことがある。先生にそういわれても、どう返したらよいかなんて、わかるはずもない。おっちょこちょいで無作法な私に、随分苛立ちを覚えられたこともあるかもしれない。そんなときは「ヨーロッパはいいよなぁ、Yくん!」と同意を求められただけだった。「〜さん」「〜くん」「お前」と色々な呼び方をされたのは、距離のとり方をいつも探しあぐねていたかもしれない。

酒場で流儀が必要なように、論文にも、アカデミニズムにもスタイルと流儀がある。あるいは人生そのものにも。そのスタイルを最後まで貫かれた、しかし、余りにも早く逝ってしまわれた先生のご冥福をお祈りしています。もう一回だけでも、そのスタイルに触れたかったです。

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