マイケル・ウォルツァー「イスラム主義と左派(Isalamism and the Left)」

 「シノドス」で、政治哲学者のマイケル・ウォルツァーが自身が編集に携わっている米Dissent誌(オンライン版)に寄せた「イスラム主義と左派(Isalamism and the Left)」を訳出しました(高波千代子さんと共訳)。

 

イスラム主義と左派――シャルリ・エブド襲撃事件に記して / マイケル・ウォルツァー / 政治哲学 (翻訳 / 高波千代子、吉田徹) | SYNODOS -シノドス-

 

 訳者はイスラムの専門家でもなければ、ウォルツァーの哲学に必ずしも通じているわけではありませんが、シャルリ・エブド襲撃事件、イスラム国人質事件、その他一連のイスラム過激派によるテロ、さらに日本でのモスク損壊事件や第三書館のシャルリ・エブド翻訳をめぐる意見や論争などをみていると、改めて信仰や宗教過激派、テロに対してどのように対峙し、これを捉えるのかが大事なのかを痛感するようになりました。

 

 この論考でウォルツァーは大概、以下のようなことを主張しています。

 

-現代における宗教性は新しい段階に入っているということ(「ポスト世俗主義」)。

-宗教は常に内部に過激派を抱えてきたということ(米ブッシュ政権がイスラム国を生んだという単純な解釈では済まないということ)

-極右がイスラムフォビアを喧伝しているゆえに、左派はイスラムフォビアを強く警戒していること。

-それゆえイスラム過激派が反帝国主義や反米主義、反主流派であるという風に解釈したがること。

-しかし左派が守るべき普遍的価値と宗教過激派とを決して混同して論じるべきではないこと、そのためには宗派内部の穏健派や左派と連携する必要があること。

 

 訳出した理由には大きくいって2つの理由があります。

 

 ひとつは、テロは、それに直面したものに色々な形で二者択一を迫るものだからです。テロが話題になるということだけで、テロの目的はかなりの程度、達成されたということにもなります。

 

 それはそれで仕方ないでしょう。その時々に応じて、ベストと考えられる選択をするしかありません。しかし、そうした中にも「政治」は発生するし(人質が殺されたのは政権のせいだといったようなものもあれば、人質を守るために国の防衛力を高めようといったものもあるでしょう)、それがどういう力学で動くもので、何を基本として論じられなければならないのか、ということについては自覚的でなければなりません。

 

 シャルリ・エブドへのテロを念頭に置いた場合、「マイノリティの信仰を揶揄すること自体が問題である」といった意見があったことに、私自身は少なからず驚きました。信仰心や宗教過激派と表現・言論の自由は分けて考えなければなりません。表現・言論の自由が権力に対する抵抗手段の砦として守らなければならないのは確かですが、権力が大文字の権力であった時代はもうすでに過去のものであって、宗教を含め、ミクロな権力作用が現代社会を覆うようになったという認識が70年代以降には当たり前のものになりました。そうした認識の転換や「かくかくの言論の自由はあってもよいが、しかじかの言論の自由は認めるべきでない」という発言自体が、言論・表現の自由が何であるかを理解していない証拠です。

 

 特にムスリム宗教的マイノリティ(イスラムが完全な宗教的マイノリティだとするバイアスそのものが欧州の宗教状況を理解していないことの証拠でもありますが)への配慮があるからなのか、いわゆる左派・リベラルの側で、こうした言論の自由の抑制を求める声が多いようにみえます。

 

 そうした状況も念頭において、とりわけ「左派」と「宗教」、もしくは「左派とイスラム」の関係を論じた、ウォルツァーの論考を訳出しました。決して読みやすい文章ではなければ日本の状況とぴったり当てはまるものではないでしょうし、増してやここでの論じられていることが正解であるわけでもありません。ただ、宗教的な過激が進んでいる時代にあること(「ポスト世俗主義」)、その局面において、左派はどのように思考すべきで、どのようにイデオロギー的闘いを遂行すべきかについて、重要なヒントが隠されているはずです。

 

 似たような立場からの論考を書いているフランスの政治学者ローラン・ブヴェ(Laurent Bouvet)の記事も翻訳を進めているところです(彼は最近、宗教やアイデンティティ、文化規範を基礎とした政治が急進化していることを分析した『文化的なインセキュリティ』Insécurité culturelle — Wikipédia を書いて注目されました)。ウォルツァーの論考とあわせて、思考の材料になるのではないかと思っています。

 

追記:

なお読者の方から、「しかし自分はいかなるグローバルな左派を支持せず、これら組織の暴力は特に支持しない、としたのである」という訳出は間違いではないかという指摘を受けました。原文を確認した所、指摘通りでした。よって、訳文を「しかし自分は全てのグローバルな左派を支持せず、これら組織の暴力は特に支持しない、としたのである」と訂正したいと思います。

また「誠実さの体制」を「真実の体系」と置き換えます(シノドスでアップしていただいたものも修正済みです)。

以上、訂正してのお詫びまで(2015年2月19日)。