新自由主義レジームを生き抜くために。

その人は、40歳半ばである。ここでは仮にSさんと呼んでおく。

Sさんは、もともと先物取引のディーラーをやっていた。その彼がその後、外資系保険の営業マンに転じたのは、離婚がきっかけだった。離婚を機に、保険金の払い戻し金を娘に渡そうとしたところ、解約金で払い戻し額はほぼゼロ。もともと昼夜逆転の生活で仕事中毒のせいで離婚を招いたSさんは、一念発起してフィナンシャル・アドヴァイザーの資格を取得、より資産運営の性格が強く、ライフステージに合わせた柔軟な保険商品を扱う、誰もが名を知る外資系保険会社の営業に転職した。

その後、再婚もして、順調な成績をあげていたSさんを襲ったのはしかし、リーマン・ショックだった。

巨額の不良債権を抱えることになったこの外資系保険会社は、まず営業マンに月20万のノルマを課し、しかもそのノルマを新規契約のみに限るとの条件を付けてきた。これで一気にハードルがあがる。つまり、よくあるように、ライフステージに応じて保険商品を組替えるような地道な営業成績はカウントされず、そればかりか、顧客に一度解約させ、新規に契約させることをさせる仕組みだ。このノルマを前に、無理な契約を進める会社仲間が続出した。

しかし月20万のノルマを達成しなければクビになる。Sさんはそれまで毎日のように足しげく通っていた顧客のもとに出向くのをやめ、一人毎日会社の机の前に座ったまま、無言の抵抗を続けた。ちょうど一ヵ月後、Sさんは案の定、上司の元に呼ばれた。当然、上司は辞職を勧める。そもそも労使協約に基づかない解雇条件のもとでは、その分自分の成績にも、会社の資本にも響くからだ。解雇の通知書一枚手渡すことを拒むこともできない上司を前に、Sさんは満足し、その日に辞表を提出した。

Sさんは今、駅前にある保険会社のテナントパートナーとなって、再び顧客のもとを訪れる毎日を経験している。顧客リストまでは持ってきたが、個人情報までは持ち出さなかったから、まずは生年月日を記入してもらうところから始まる。それだけが、その人の人生に役立つような保険商品を勧める手掛かりになるからだ。「色々な保険会社の商品を扱えますからね。それに一国一城の主だから、どの商品を優先的に扱うか、大手の保険会社の営業に対しても強気に出れるんですよ」。Sさんは嬉しそうだった。

新自由主義」と呼ばれる生活や仕事のあり方が前提となった久しい。この体制(レジーム)のもとでは、誰もがゲームをクリアしなければならない。しかし、そのゲームのクリアの仕方は、人それぞれである。Sさんの新たな挑戦に、大きな勇気をもらった。