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「あちら側(そして、私たちは愛に帰る)」

レビューとか。

ファティ・アキン監督の作品は、2004年の「愛より強く」で知っていた。
超えられない壁からきりきりと痛むような男女の感情をビビッドに描いた作品に続く、「そして、私たちは愛に帰る(Auf der Anderen Seite=あちら側)」にも強く魅せられた。

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(2009/09/16)
バーキ・ダヴラクハンナ・シグラ

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モチーフは、前作に共通したものだ。ドイツ人とトルコ系移民。異なる感情と環境。超えられない何か。それを乗り越えようとする個人の意思。しかし、それは環境から離反するがゆえの困難を抱える。今回の作品で異なるのは、これに「世代」という軸を加えたことだ。

ハンブルクの大学の教員である主人公ネジャットの父、アリ。彼は同じトルコ移民の娼婦イェテルと出会い、一緒に暮らし始める。

ドイツ社会で成功者であるネジャット(ドイツ文学の講師である)は、最初から父親に対して反感を持っている。母親の存在が一切触れられないのも重要な複線だろう。彼はむしろ、幼い頃に手放したトルコに済む1人娘にイェテルが教育費を送っていることを知り、彼女に共感する。世代と性の異なる二人の共感だ。

ここでもうひとつの物語が交差する。それはイェテルの死亡であり、ここから彼女の娘であるアイテンが登場する。ネジャットは母親の死の責任をとるため、アイテンをトルコで探し始めるが、今度は民主化運動をするアイテンが、活動家のコネクションでドイツに渡ってくることで両者はすれ違う。アイテンはドイツ人の学生ロッテと知り合い、今度はロッテがアイテンに共感していく。しかしネックになるのが彼女の母親スザンヌ(母子家庭である)であり、ここでは、世代と国籍の異なる二人が衝突する。

最終的に、ネジャットとアイテンは遭遇しない。それどころか、アイテンが強制送還されたことで彼女を助けようと後を追ったロッテが、今度はアイテンの責任によって死んでしまう。このロッテの死が、今度はロッテの母親のスザンヌとアイテン、スザンヌとネジャットとの間の共感を生み出していくことになる。ネジャットにとってはトルコ人であり投獄された父親の不在を、ドイツ人の母が埋めることになる。いわば「誤配」の結果生み出された人間関係が、国籍と世代を超えて、構築されていくのだ。

面白いのは、俯瞰した時に、国籍と世代を超えた和解は達成されるのにも係らず、反対に「こちら側」(すなわちネジャットと父)の同性間の和解に帰結しないことだ。ネジャットとイェテル、アイテンとロッテ、アイテンとスザンヌは共感と和解に漕ぎつける。

もっとも、移民1世と移民2世である父子間ではそれが可能にならない。「誤配」の結果は新たな未来への種を撒く。しかし「自然」はそれを可能にしない。プロセスとしては幸福な物語へとつながるにも係らず、構造としては不幸な物語なのだ。この2つの組み合わせが観る者に眩暈を誘う。

最後は、ネジャットが釈放されてトルコの貧しい漁村に戻った父親の戻りを待つシーンで終わる。これは、移民問題で生じるもうひとつの「壁」を乗り越えようとする、アキン監督の意思でもあるのだろうか。

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