歴史解釈―ミッテラン外交とドイツ統一をめぐって

 イギリス外務省が1989年のドイツ統一に関わる外交資料を公開した。原則として公文書は、国と種類によって多少のばらつきはあるものの20-30年の間は非公開とするルールが適用されるから、極めて異例のことだ。しかし、歴史を扱う人間にとっては朗報だろう。http://www.kenendo.com/publiccommentary/20090928.html

 面白いのはこれを受けて、9月15日に、やはりフランス外務省が、統一関係の外交資料を公開するとの方針を表明したことだ。<http://www.diplomatie.gouv.fr/fr/pays-zones-geo_833/allemagne_157/france-allemagne_1298/couple-franco-allemand_845/publication-archives-diplomatiques-1989-sur-les-relations-franco-allemandes-25.09.09_76595.html>

 ロンドンのフランス大使館のホームページでもアナウンスされているところをみると、これもやはり英国の資料公開の動きを受けたものであると考えるのが妥当だろう。

 9月15日は、フランスの有名独立ジャーナルの「Rue89http://www.rue89.com/」が元リベラシオン紙の外交担当だったハスキ記者の記事を掲載した日でもある。ハスキは、強大な隣国が誕生してヨーロッパ政治が混乱することを恐れた当時のミッテラン大統領がドイツ統一を妨害した、という解釈を国内で広めた1人だ。http://www.rue89.com/2009/09/15/quand-mitterrand-tentait-de-ralentir-la-reunification-allemandeハスキは、「30年代のドイツ人が再びやってくる」とサッチャーに漏らしたことを強調している。
 英外交資料の公開で、英仏がドイツ統一を妨害しようとしていた、という再度の疑念は再び多固まった< http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8251211.stm >。

 「ミッテランによるドイツ統一妨害論」は、その後ミッテラン外交の「負の側面」として、多くの国民や有識者に共有されることになった。先験的に考えれば、フランスにとってドイツ統一は好ましいものではなかった、と考えるのは至極当然のことだからだ。

 ところが、2005年に入って、当時の外交資料を丹念に精査し、関係者へのインタビューを交えた歴史家の研究書がフランスとドイツで相次いで公刊された。

Tilo Schabert, Wie Weltgeschichte gemacht wird. rankreich und die deutsche Einheit <http://www.buecher.de/shop/Buecher/Wie-Weltgeschichte-gemacht-wird/Schabert-Tilo/products_products/detail/prod_id/10753366/>

Frederic Bozo, Mitterrand, la fin de la guerre froide et l’unification allemande.De Yalta à Maastricht<http://www.odilejacob.fr/0207/2101/Mitterrand--la-fin-de-la-guerre-froide-et-l%92unification-allemande.html >

書評論文:「ドイツ統一とフランス外交 : 欧州統合は何故進んだのか」<http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/20544>

 後者のボゾは、やはりRue89でハスキに対する反論記事を早速掲載する< http://www.rue89.com/2009/10/03/mitterrand-et-la-chute-du-mur-en-finir-avec-la-legende >。これは、すでに自著での主張の繰り返し、すなわちミッテランドイツ統一に対して当初はむしろ受動的であり、その後は世界秩序と欧州統合となるべく親和的な形での統一プロセスを目指したに過ぎない、というものだ。先のミッテランの発言にしても、それは繰り返しドイツ人に対して発せられていたメッセージに過ぎない、としている。

 何が真実はここでは問わないが、そうした歴史の解釈をめぐる論争がきちんとしたエヴィデンスをもとに繰り広げられているという事実に注意したい。

 資料公開を発表したコミュニケで、欧州担当大臣のルルーシュは、こう述べている。
 「歴史家の仕事はアーカイヴ総体にアクセスすることで得られる厳密さとニュアンスについて敏感でなければならない」

 そのような環境そのものが整えられて、歴史家の仕事は初めて開始される。「核持込密約」問題で、なぜ同じような環境を日米でもって始められることがなかったのか、極めて不思議に、そして残念に思うのである。

 ちなみにフランス側の外交文書は新しくクールヌーヴで新設された文書館でみられるとのこと。行ってみたいものです。

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トントンとマギーは何を話したのか。