スラムドッグ$ミリオネアの新しさ。

おくりびと」騒ぎをみていると、つくづく日本は他者からの評価に弱いのだな、と感じる。
こちらは外国映画賞だが、作品賞、監督賞ほか8部門を撮った「スラムドッグ・ミリオネア」を観る。

ダニー・ボイル特有のリズムとテンポで飽きさせない。インド版「トレイン・スポッティング」といった感じか。ダニー・ボイルの世界は、明確な善悪がない世界で主人公のサヴァイヴをこれでもかとカメラで追っていくのが特徴だ。そこには拡張可能なメッセージもないし、余韻もない。だから大作や名作というには程遠い。

ではそこにインド的なものが刻印されているかというと、舞台であるムンバイ生まれのサルマン・ラシュディが「荒唐無稽な映画」と一蹴しているように(The Independent紙)、必ずしもそうではないのだろう。ダニー・ボイルの世界は、土地や時代といった固有性を拒否することで初めて成り立つ。アカデミー賞はその芸風にこそ与えらたものなのかもしれない。

受賞理由に「危機の時代に希望を与えるハッピーエンディングストーリー」というのがあったというが、この危機の時代に映画の客員動員数はどの国でも軒並み上昇しているという。日本22%、ロシア16%、英国でも5%増。

経済的不況の時代に映画の視聴が増えるというのは1920年代にも観察された事象だと社会学者は指摘している。それは単に「気晴らし」ではなく映画を一緒にみるという「共通体験」を通じて「共同性」を確認する儀式なのだとか。

共同性を徹底して拒否するダニー・ボイルの映画に、共同性を見出す私たち―そこにゼロ年代の危機の新しい形があるのかもしれない。