Bond or Bourne?

quantum-of-solice.jpg

一足先に「007―慰めの報酬」をみてきた。
原題は"Quantum of Solace"。直訳すると「ほんの少しの慰み」という程度だろうが、久々の良い感じに仕上がったシリーズの邦訳である。

SNSやブログではすでに賛否両論出ているが、大方は好意的な意見が多いようだ。確かに原作のように女王陛下に仕えるスパイというだけでなく「個」としてのボンドも上手く描かれているし、今回は特にカメラワークが秀逸だったように思う。ダニエル・クレイグの演技力は、個人的には過去最高のボンドだったブロスナンを凌ぐし、敵役仏人俳優のマチュー・アマルリックの狂気もいい。マネーペニーもガジェットも出てこないが、高い水準の作品に仕上がっていた。

特に、今回の「ウォーター・ビジネス」をネタにした敵組織の設定は、なるほど、と思わせるものだった(ましてやボスキャラはフランス人だ)。ブロスナン三作目の「ワールド・イズ・ノット・イナフ」は、今年見事に話題になったグルジア=欧州パイプラインの話だったし、冷戦がなくなって、敵組織はより一層リアルになった。

しかし、である。前作「カジノ・ロワイヤル」でみたクレイグへの違和感は消えたものの、やはりどこかこれまでの007シリーズとは違う。それは脚本やストーリー設定以前の違和感だ。何だろう、と考えてみた。

それは、端的にいって、ジェームズ・ボンドのジェイソン・ボーン化、とでもいえばいいだろうか。言うまでもなく、「ボーン・アイデンティティ」シリーズのボーンだ。ボーンのエージェントとしての特徴だった、「孤独」「タフさ」「女性に対するストイックさ」「復讐心」といったほとんどが今回のボンドでは再現されているし、それだけでなく、肉弾戦を使ったアクションシーンはほとんどパクリではないかと思うほど酷似しているし、組織の同僚と密かな友情と愛情を交わすところも同じだ。組織との確執を抱えるところは、原作に忠実とはいえ、無視できない類似性だ。簡単にいってしまえば、「リアリティ」路線の徹底だ。

もちろん、ボンド・シリーズが「ボーン・アイデンティティ」に与えた影響もあるし、スパイ映画として「ボーン・アイデンティティ」は間違いなく面白い。それでも。リアリティを追求するとしても、「アイデンティティ」とは違う路線があったのではないか、とやはり思わざるを得なかった。リアリティの追求では、所詮ボーンには勝てない。ならば、これまでの作品が培ってきた、異なるリアリティがあってもよかったのではないか。やはり「スパイ」が生き抜くのは至難な業な時代なのだろう。