『敵こそ、我が友』

「敵こそ、我が友」
http://www.teki-tomo.jp/

株式会社キノ 
支配人 中島さま、

一昨日は、『敵こそ、我が友』の試写会にご招待をいただき有難うございました。
この作品は、偶然友人のブログで知ったのですが、東京に出向いた際に映画館に出かける機会を中々得ることができず、今回、このような形で鑑賞できたのは大きな幸いでした。

私自身フランス政治史を大学で専門にしているのにも係らず、『敵こそ、我が友』で描かれている事実の中で初めて知ることも多く、レジスタンスの英雄ムーランの殺害にバルビーが関っていたことやイジューの強制送還など、沢山のことを知ることができました。また、中に出てくるナチ・ハンターのセルジュ・クラルスフェルトが、サルコジ大統領のアドヴァイザーを務め、パポン裁判やトゥビエ裁判にも関係した有名な弁護士であるアルノの父親だということも、後で発見をしました。パポン裁判もトゥビエ裁判も、パンフレットにもありますが、やはりナチス占領期に起きた「人道に対する罪」に関する裁判ですから、親子の執念というものを感じざるを得ません。

作品とみた場合、ヨーロッパから南米にまたがる約40年に渡るバルビーの活動を追うことで豊穣な歴史的真実が描かれているのはもちろん、それ以上に―「最良の敵(le meilleur ennemie)」という原題が示すように―、狡猾な政治的リアリズムをあぶりだしている点に、大いに共鳴を受けました。

これには若干歴史的背景の説明が必要かもしれません。
まず戦後ヨーロッパは、フランスやイタリアを初めとして、共産党が大きな勢力として存在しました。共産党は、選挙で常に4分の1の得票率を獲得する一大勢力だったのです。戦争直後には、連立内閣の一角を占めていたこともありました。しかし1947年ごろになると、チャーチルの「鉄のカーテン」演説、米ジョージ・ケナンの「X論文」などに象徴されるように、米ソの冷戦が本格化していきました。そして、ヨーロッパはいわば米ソの間の綱引きの主戦場となりました。ドイツのロケットミサイルの開発責任者だったフォン・ブラウン博士がアメリカに協力したのは有名ですが、バルビーも含め、反共主義者だったナチスの残党を味方に付け、情報と協力を引き出すために、アメリカは手段を選びませんでした。共産主義/ボルシェビズムと戦うために、ファシズムと手を結ぶ―20世紀という時代は、資本主義と共産主義ファシズムの3つの大きな潮流から出発しました。3者のゲームは、2対1に持ち込まないと勝利できない―そんな冷徹な政治的判断がバルビーを生き返らせたといえるのではないでしょうか。
ちなみに、大儀のために手段を選ばないアメリカの外交姿勢は、映画の中の議員が指摘するように、近年の「テロとの戦い」の過程でも、暴露されているところです。
バルビーの「第三の人生」たる南米ボリビアでも同じ構図が指摘できるでしょう。アメリカの「裏庭」たる南米で共産主義が勢力を伸張させることは何としてでも防ぐべきことであり(CIAによる南米での工作は、ジャック・ビドゥー監督『サルバドール・アジェンデ』や、最近では『グッド・シェパード』でも描かれていました)、軍事独裁政権は反共の防波堤としての役割を期待されたわけです。こうした国際政治の大きな構図の中でバルビーは、おそらくその独特の才覚でもって生き延びたのでしょう。

中島さんが冒頭「権力の交差を描いた作品」と紹介されましたが、もちろん、アメリカだけが責めを負うわけではありません。劇中、バルビーの弁護人を務めたジャック・ベルジェスという人物に強い関心を持ちました。彼は、お仕着せの法廷、つまり復讐と報復を目的とした裁判がいかに茶番であるかを、歴史的事実から暴いていくことに信念を燃やします。そういえば、フセイン大統領の弁護士を務めたのも彼でしたが、国家権力による「正義」がいかに欺瞞に満ちたものであるかを告発するという使命は、こうした人物が担うものなのでしょう。マクドナルド監督は、ベルジェスに関するドキュメントを作成する過程でバルビーの物語を知ったということですから、新作品の公開も心待ちにしたいと思います。

ホロコーストの責任者の1人であり、映画でも触れられているA.アイヒマンのイスラエル裁判を傍聴した思想家ハンナ・アーレントは、<悪>の本当の正体は、<無思考>すなわち考えることを放棄することだと喝破しました。勧善懲悪とカタルシスでもって鑑賞する側を、この<無思考>に引きずり込もうとする映画が数多い現在、『敵こそ、我が友』を観ること、上映することは、二重の意味で大きいと確信をしました。それは、単に「劇場公開」という営業活動ではなく、立派なひとつの政治的活動でもあるのだと、「シアター・キノ」に改めて敬意を表する次第です。

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