就職活動してみる?

96年当たりのことだから、かれこれもう10年以上もの前の話だ。

当時は、多少就職難が薄れた時期だったとはいえ、拓銀と山一が破綻して「バブル崩壊」が本格的に感じられるようになる直前のことだった。

人並みに就職活動なるものをしていたボクは半分、物見遊山でリーマン・ブラザーズの説明会に行ってみた(当時はまだ溜池にあったように記憶している)。うわ、お金かかっているな、と思わせる会場でもったいぶって出てきたのは髪の毛をオールバックにしてピンストライプのスーツを着た、これまたいかにも、といった趣のリーマン・マンだった。彼は「みなさんはこんなもの読むこともないでしょうけど」と言って、大事そうに脇にかかえていたウォール・ストリートジャーナルを広げてみせてみせた。そんなお馬鹿さんのいる会社は嫌だ、と思ってエントリーを取り下げた。運よく拾ってもらった会社に行ったら、「うちにくれば生涯安泰だよ、と担当者が言ってた拓銀に行かなくてよかった」と嘯く北海道出身の同期に出くわした。
(もちろん、拓銀サラリーマンと違ってあのリーマン・マンは今ごろすでに引退しているかもしれないが)

そのさらに10年ほど前、公立大学を出た安定志向のある人(仮にここではAさんとする)は、銀行と商社を中心に就活をしていたが、かといって親父臭がして女性の総合職なんてまずとらない邦銀(雇用均等法以前だし)にも関心が沸かない。そこで当時はまだまだ無名以下の存在だったシティバンクに就職した。Aさんは見事、名刺に「ヴァイス・プレジデント」と付けるまでに出世した(そして間もなく辞めて世界をめぐって今ではカナダに住んでいる)。シティバンク金融庁の極めて甘い行政指導を受けて、日本市場で名声を落とすことになるのは97年よりも後のことである。業態は異なるがリーマンかシティか、といわれたら、良い勝負だっただろう。

今月の『論座』最終号で赤木智弘が書いている。
「確かに『泥のように働いた努力』を、その会社の経営者は理解してくれるかもしれない。しかし今のグローバリズム社会のなかで、その経営者が20年後も経営者であるという保証はない、というか、技術革新が激しく群雄割拠のIT業界で、そんなことはあり得ない。ならば当然、学生たちが望むものは、『先のみえない泥のような努力』ではなく『華々しいキャリア』である。というと、現状を認識できていない人たちは『努力を嫌がって成果ばかりを望んでいる』と言うのかもしれないが、学生たちはキャリア形成のための努力を否定などしていない。彼らはキャリアになるかならないか分らない努力を拒否しているだけであり、キャリア形成につながる提案があれば喜んで努力するだろう」(220頁)。
赤木はいつもと同じように、半分正しくて、半分間違っている。

Aさんは当時、ボクにこう言った。
「ここは立派にみえるけどそのほとんどが自分が何をしたいか分らない人達だらけ。それを見つけることができた貴方は幸せだ」

リーマン・ブラザーズ破綻のニュースを聞いて、そんなことを思い出した。