師逝く。

凡そ「比較政治学」のディシプリンに身を置いたことがある者なら、その誤訳だらけの著作にお世話にならなかったことはないだろう。翻訳はアーモンドからハンティントン、アイゼンシュタットにA.ギャンブルにまで及んだ。比較政治学の黄金時代に生まれた目ぼしい著作は、弟子によるものを含め、日本語で読めるものはほとんど手がけた。

大学二年のとき、友達に「面白い先生がいる」と聞いて、物見遊山半分で講義に出てみた。その友人がいうように、ぶつぶつと、主張だか、意見だか、文句だかを言っていて、その意味の半分もわからなかった。

大学三年のとき、ゼミに出て、「先生の言っていることは正しくないです」と言ってみた。「そうかもしれないね」とにこやかに返事が返ってきた。

大学を卒業して、仲間と新潟まで会いに行ったこともあった。がらん、としたマンションにあがると、いきなり山のように缶ビールが出てきた。トイレには、なぜか太平洋戦争空想ものが並んでいた。街に繰り出して、ひとしきり酔っ払って、カラオケに行ったら、一曲だけ聴いてお金を払って帰られた。その時にとったプラチナもののプリクラはどこにいってしまっただろう。

「師」というには、余りにも距離は遠いけれども、彼のぶつぶつをが何を意味しているのかを学ばなきゃ、と思わせる何かがあった。

酒飲みで粋で、不器用に人間臭く、そして何よりも「戦後」というものを意識的に、懸命に支えようとした人だった。言葉を借りれば、人間に諦めつつ、諦めきれない人だったように思う。「今読み返してみると、外国のものを一生懸命に縦にしただけだから、自分でも判らない」と、あとがきに残すその情熱が純粋にかっこいい、と思えた。

今でも、教室でタバコを吸うのは、先生の影響だ。
先生のように、堂々と学生の前で吸うほどには、度胸も経験も志もない。

http://ocw.dmc.keio.ac.jp/j/meikougi_4.html

「内山秀夫」という師匠は78歳で、チャールトン・ヘストンと同じ日に逝った。時代は後ろ髪を引かれつつ去る。時代を創っていかないといけない。諦めないままに。