20世紀は何に敗北したのか。

「活かす」ことは難しい。その対象が人間であれ、物質であれ、現に目の前に存在するものをどうすれば「活かす」ことができるのかは、対象ではなく、むしろ主体そのものが問われるからかもしれない。それが「思想」であればなおさらのことだろう。

市村弘正の『敗北の二十世紀』(ちくま学芸文庫)は、20世紀という廃墟の中から、アーレントヤスパース、シュミット、ラカー、丸山をたどって、彼らの言葉をたどり、紡ぐことで、世界を再構築しようとしている。市村はそれを「言葉の縁=エッジ」という。

敗北の二十世紀 増補 (ちくま学芸文庫 イ 36-1)敗北の二十世紀 増補 (ちくま学芸文庫 イ 36-1)
(2007/11)
市村 弘正

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「世界の応答に耳を澄ます誌的想像力は、歴史へと開かれた『交差路』としての記憶の縁に触手を伸ばそうとする」

「思想」と呼ばれるものにそっと耳をすまし、歴史に寄り添いつつ、自らの記憶を開放することで、新たな言葉をつむぐこと。思想史とは、「思想」を活かすことである、ということをほぼ完璧にしてみせるこの小著は、ひとつのアートですらあるといっていいのかもしれない、と思う。
大学生の時に時間を忘れて思想を貪りとった、あの時間を久しぶりにもたらしてくれた。

ついでに、もうひとつ。
Raymon Aron et Michel Foucault,Dialogue,Paris:Ligne,2007.
稀代の社会学者2人による、噛み合わないだけの対談(1967年)。しかし言葉の端々に、2人の自負心が覗く。