すわ離婚か。

© L'Est Républicain - 13/10/2007 - Droits de reproduction et de diffusion réservés

以下は、セシリア・サルコジ離婚の第一報を伝えた『レスト・レピュビリカン』紙の記事の抄訳です。

タイトル:「エリゼ宮(大統領府)のサルコジ夫婦の離婚公表を予定」

リード:今朝10時、ネット上にスクープとして報道したように、サルコジ共和国大統領とその妻であるセシリア夫人は離別を決めた。

本文:ルーアンへの大統領の訪問の際、エリゼ宮のスポークスマンのマルティニヨン氏は公式には我々の報道を否定することはなかった。彼は「プレスの噂についてコメントするようなことはしない」と述べるにとどまった。しかし、この噂はエリゼ宮に非常に近い筋にもたらされたものである。
 一両日中にも、共和国大統領サルコジとセシリア夫人の離婚が公表されることになる。大統領夫人は、この報道に備えて木曜午後にすでにパリで雑誌撮影を終えており、急展開したこの離婚について何らかの形で数日内に釈明することになる。オードセーヌ裁判所での離婚手続きがとられなければならないから、ことのスピードはかなり速いだろう。
(略)
 2005年のある夜、大統領候補時代のサルコジはテレビ局TF1の8時のニュースで、「真実はひとつ。数百万の家庭と同じように、私の家庭も苦難を経験した。この苦難は乗り越えられる途上にある。それ以上に何かを言う気にはなれません」。
 それ以来、よりが戻って家庭に戻ったセシリア夫人の姿が、2006年6月末のギュイヤンヌ島で報道陣の前に公開された。また、大統領選の折には、セシリア夫人は目立たないようになり、決戦投票日にも夫と再会したのは夜遅くフーケットでの晩餐会の時だった。勝利の喜びの後、マルタ島でボロレ氏のヨットを借りてのクルーズの後、サルコジ夫妻のカップル生活は順調なようにみえた。フランスのファースト・レディは、その博愛精神と情熱でもって、リビヤに収監されていたブルガリア看護婦の解放に個人的に尽力し、大統領補佐官とともに、カダフィ将軍から彼女らを「奪還」することに成功した。9月4日には、我々にその行動力の源泉について語っている。
 この数日、セシリア夫人はジュネーブベルグ・ホテルの有名レストランで食事するところを目撃されている。また、パリの有名レストラン、レカミエや、エレーヌ・ダロズで友人とともに、元気な姿で楽しげに食事をする姿もあった。

Laïd SAMMARI et Jean - Louis ANTOINE