DSK。

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お気に入りのフランスの政治家の1人、ドミニク・ストロス=カーン(略してDSK)が下馬評通りIMFの専務理事に選出された。

頭の回転が早いという意味では、今の社会党で最も頭のよい政治家の1人だし、もともとエコノミストとして社会党入りした人間であり、70年代に経済政策のブレーンとして鳴らした人間だから、適材であること請け合いである。
ちなみに、奥さんはアンヌ・サンクレールという、素晴らしく美しいブルーの瞳を持った元テレビキャスターである。ひとつ心配するとしたら、非常にメタボ気味な体型をされていること位である。

あれ、保守党政権のもとで社会党政治家?と思えば、これもサルコジ大統領の野党に対する「分断統治」の一貫。実際には、ユーロ・グループ議長を務めているルクセンブルグのユンカー元首相の推薦が、欧州候補となるきっかけなので、それだけDSKの評判が高かった、ということでもある(世銀とIMFのヘッドが欧米でシェアされているのはけしからん、というような話はここではしない。いいじゃん、日本だってアジア開銀をわけてもらっているのだから)。

実は、個人的にDSKとは付き合いが深い。
お友達であるというわけでもちろんはないのだが、ジェトロ時代に初めて書いたレポートがこのDSKについてのものだった。当時の97年6月、ジョスパン左派政権が発足して、経済財政相に任命されたのがこのDSKだった。確か「ジェトロ・センサー」という雑誌の97年12月号に文章があるはずである。英フィナンシャル・タイムズに掲載されたロング・インタビューを2時間くらいかけて読んだ覚えがある。

就任直後、独SPDのラフォンテーヌとともにぶちあげたのが、ECBの積極的な為替介入である。いわく、ECBも米連銀を見習って弾力的な通貨政策をとれ、と。英独仏伊の主要国で左派政権が誕生し、「バラのヨーロッパ」が観た儚い夢だった(ちなみに、独蔵相がラフォンテーヌと仏系で仏蔵相がストロス=カーンと独系の名前を持っていたのが面白い。両者ともに仏独語が流暢である)。
ただ、ラフォンテーヌがその後シュレーダーSPDのコントロールを失い、新党「左派」を立ち上げたのと違って、DSKは党内でどんどん右寄りになっていき、英政治風にいえば「モダナイザー」の位置を占めることになった。

その後、MNEFという社会党の青年支部をめぐる不正融資事件に関与した疑いがかかってDSKは辞任した(後に無罪判決)。その第一報も、どこの通信社よりも早く本国に転電した。

蔵相時代に一度、それから社会党が下野してからの閑職時代、レストランや研究所ですれ違って廊下で立ち話をしたことがある。実際に接したDSKも実に、チャーミングな人間であった。2012年の時期大統領選では必ずや候補者の1人として名前があがるだろう。

それにしても、氏のしているカルチエのタンクに革ベルトというのは、なかなかにお洒落である。いつかやってみたいなあ。