誰にとっての悪夢?

例によって映画館でみようと思ってみはぐってしまっていた「ダーウィンの悪夢」がDVDでレンタルされていたので借りてきた。
http://www.darwin-movie.jp/

ダーウィンの悪夢 デラックス版 ダーウィンの悪夢 デラックス版
フーベルト・ザウパー (2007/07/06)
ジェネオン エンタテインメント

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物語の前提は、こうだ。アフリカのビクトリア湖に60年代、「ナイルパーチ」という肉食魚が放流された。当然、この魚は湖の生態系を破壊する。しかしこの魚は、肉食品として重宝される「天の恵み」だった。舞台はこの魚の捕獲と加工で経済を成り立たすタンザニアの街ムワンザだ。この街には、世界銀行から融資を受けて「1日500トン」を輸出する経営者、「祖国に残してきた家族」が生きがいでイリューシンを飛ばして輸出するロシア人パイロット、パイロットたちを相手する売春婦、「残酷な暴力から逃れるために」この魚の梱包財を溶かしてラリるストレートチルドレン、魚の残骸から出るアンモニアガスで目を失った老女、ワニで足を食いちぎられた漁師、貧困ゆえの新興宗教の教祖、などなどだ。しかし、ここに登場する主人公たち誰一人の口に、このスズキに似た魚は入ることがない。なぜならナイルパーチは重要な輸出資源であり、それゆえに消費できるような価格のものではないからだ。

大量の飛行機が武器を積んでやってきて、魚を積んで飛び立っていく。どこかへ。そして、このムワンザという街と「ここ」はどこかでつながっている。それもとてつもなく痛々しい形で。

しかし、現下での貧困を目にしつつ、世界経済の論理と体系に組み込まれ、システムの中で「生き残るため=to find life」の競争を繰り広げ、システム改変を諦念しているという意味では、ムワンザもここも同じ状況にあるに過ぎない。そのこと自体が、もっとも痛々しいことなのではないのか。なぜなら、そこには進歩という概念そのものが破産させられているから。

加工工場に張られたカレンダーは、おそらく会社が作ったものだろう、「we are a part of the big system」という標語が印字されていた。

それにしても、南アジアで2000人以上も死者が出ているというのに、NHKも民放も一切取り上げないのはなぜだろう。システムに余りにも無関心だからこそシステムに復讐されるのだ。