欧州統合の<神話化>

今日はパリ祭です。
恒例のシャンゼリゼでのパレードは、EU加盟国27カ国の軍隊を迎えて行われました。65年前には、ヒトラーを乗せたメルセデス・ベンツがやはりシャンゼリゼを下ったのですから、シャンゼリゼ通りというのは歴史的なモニュメントであるとすら言ってもいいかもしれません。

来る7月20日、聖学院大学総合研究所で行われる「ヨーロッパ統合の実態と理念」と題された一連の研究会で報告をします(それにしても出張と報告と締め切りが相次いで綱渡り状態です)。

 この報告では、ちょっと前からつらつら思っていたことを、思い切って仮説として出してみました。すなわち、フランス政治と欧州統合の関係においては「内政・外交上の<政策的失敗>に対する解決策として、欧州統合という政治的企図を利用する政治的アクターの戦略」が支配的であるとみて、ある意味政策的失敗を隠蔽する方途として欧州統合の推進があったのだ、という見方を提示しています。

 50年代後半の植民地問題の解決はローマ条約(1960年)を生み、80年代初頭の社会主義的政策の失敗の補完は単一欧州議定書(1986年)につながり、89年の冷戦崩壊とドイツ統一の封じ込めはマーストリヒト条約(1992年)を生んだ、との見立てです。もちろん、これはフランスと欧州統合の関係に限っての話ですが、それぞれの条約交渉においては西ドイツとともにやはりフランスが大きな主導権を発揮していました。

 私に欧州統合とEU研究の面白さを教えてくれたものの中に、北大の政治経済系スタッフによる『ヨーロッパ統合の脱神話化』(ミネルヴァ書房)という本があります。私の北大への尊敬の念はここに始まりました。今でも十分な研究水準を持った本です。この題名とは無論異なった文脈においてですが、むしろ欧州統合は<神話>であるからこそ、今の時代においても存立しているのではないか、と思います。各国がその「実態と理念」を、同床異夢のまま、未来にプロジェクション=企図できるからこそ、前のめりになりつつ統合は進展してきたのではないだろうか、と。

ヨーロッパ統合の脱神話化―ポスト・マーストリヒトの政治経済学 / 佐々木 隆生、中村 研一 他
 
 研究会の計画では報告を活字化するらしいので、もう少し温めてから、完成度を高めていきたいと思っています。

レジュメはこちら(PDF235KB)
 http://www.juris.hokudai.ac.jp/~yoshidat/SGU研究会.pdf