柳沢発言が負うべき責め。

女性を「生む機械」、家庭は「子供二人が健全」と発言した柳沢厚労相への批判が高まっている。従来から女性の結婚や出産をめぐる言説は、政策的意味と個人の人生観とが絡み合うため解きほぐすのが困難で、混迷の度合いを増している。

こうした中、言及され始めたのがフランスの事例だ。同国は二〇〇六年に合計特殊出生率が2.005にまで上昇し、西欧随一の多産国となった。出生率が一九九四年に1.65にまで落ち込みながらV字回復した要因として手厚い子育て支援策が注目され、「家族政策のフランスモデル」という言葉さえ散見されるようになった。これを日本の範とすべき、というのが大方の意見である。

例えば、読売新聞は次のように報じている。
「日本の合計特殊出生率は05年に1・26と過去最低になり、06年には1・29(速報値)で前年を上回ったが、「少子化の流れが変わったとは言えない」と専門家は見る。その背景には、フランスなど欧州各国に比べて、児童手当をはじめ子育て家庭への支援策が乏しい上に、労働時間が長くて仕事と育児の両立が困難なことがあげられる」(1月28日付朝刊)
こうした解釈が流通し始めるようになったのは2年ほど前からだろうか。

もっとも、一般的に「子育て支援」と「出生率」の因果関係は明確ではなく、注意を要する。なぜフランス以上の手厚い社会保障を備え、高い女性労働力を確保しているスウェーデンデンマークが同程度の高出生率を達成していないのか、という疑問は解けない。
手掛かりのひとつは、移民系フランス人の存在である。一九九〇年から一四年間でフランスへの移民流入は二〇%増となり、さらに第三世代が結婚・出産適齢期に達しつつあるためだ。一説には新生児の15%の親のいずれかが外国人だとされている。

最近、極右政党である国民戦線のルペン党首は、移民系の出生率の高さを考慮に入れれば、フランスの本当の出生率は1.80程度に過ぎないと発言、大きな反響を呼んだ。極右的言説に接近することになるので注意を要するが、実際に、子供三人で約六万円、四人で約十二万円が支給される家族手当は貧困の中で生きる糧になる。家族手当や出産・育児休暇、ベビーシッター雇用補助など、フランスは日本と比べて格段に手厚い家族政策が準備されている。しかし「家族政策のフランスモデル」は「多文化統合に苦悩するフランスモデル」と表裏一体であり、安易な輸入や制度移転が可能になるようなものではない。もし日本の特派員がアッパーミドルではなく、移民系フランス人の家庭を取材していれば、印象は大きく異なっただろう。

日本において異常なのはその出生率の低さではなく、家族政策が労働力維持を目的として遂行されなれければならない、という本末転倒の思考回路にある。フランスで手厚い子育て支援が用意されているのは労働力や人口を維持するためではない。それは様々な理由によって経済的苦境にある市民を支援する、という市民権と分かちがたく結び付いている福祉国家のあり方の一端である。性や生殖に関する自己決定権(リプロダクティヴ・ライツ)を国家はコントロールしようとするのではなく、物理的にできない市民の選択肢を広げるための政策を用意しているのである。こうした自由を許容する政策的思考が共有されているからこそ、フランスと北欧諸国の社会はそれぞれ異なった結果を生み出していると考えるべきだろう。

柳沢発言に非があるとすれば、国家力のための子育て支援ありき、というこの本末転倒した意識にある。ルペンは続けて「出生率がこのまま低下すればフランス国家の危機となる」と述べている。移民系フランス人の出生率がこのまま上昇し続ければ、という文脈だが、国家力のために市民の自己決定権を恫喝にさらしている、という点において日本と共通するものがある。