<われわれ>の時代へ。

言葉を紡ぐためには、どうしても「語り口」のようなものが必要になる。

ボクは感覚的にも、あるいは文章の技術においても、この「語り口」のようなものが苦手だ。単に文章が下手という話もあるのだが(その昔朝日の早野透に、君は文章がへたくそだな、と言われたことは今でも覚えている)、つまりは「ああもいえるけど、こうもいえるし、実はボクはこう思うんだ」みたいな、いわゆる「やわらかく」「物怖じしつつも」「物を言って」「異議を申し立てる」というような印象を残す文章が書けないのだ。性格がそうだから、なのかもしれないけれど。

でも、世の中でこういう「語り口」に長けている人は多い。それは、文章スタイルの問題ではなくて、本人の自己規定や皮膚感覚から来ているように常々感じていた。ただ、それがなぜなのか、分かるようで分からないままだった。

そのヒントを、先日送ってもらった中俣暁生『ことばの仕事』(原書房)の中からもらうことができた。小熊英二から堀江敏幸山形浩生などの9人のエディター、学者、翻訳者へのインタビュー集である(ちなみにボクもちらっとゲスト出演している)。

平凡なインタビュー内容だが、インタビュアーの中俣氏はひとつのことにこだわって綴っている。それは「言葉」が「共有地」としての公共性を担っている、あるいは担うべきである、というこだわりである。

「『書物を通じて古典的な教養を身につける』ことが<ことば>や<知 >に取り組むほぼ唯一の手段だった時代から、サブカルチャーやテクノロジーの力が無視しえぬほどに優勢となりそれまでの<ことば>や<知>に新たな回路を切り拓いていく時代への変化が「モダン」と「ポストモダン」との間の境目だとすると、その変化おもに、1970年代後半から80年代の前半にかけて起こったと私は考えます。」

もうひとつのこだわりは「世代」にある。

「『われわれ』『ぼくたち』といった複数形の守護で語るのが、何にも まして恥ずかしい。おそらくそれが『私たち』−1960年代の前半に生まれた者−にとって唯一の、共通の感覚でした。私達の世代は複数形の主義を拒むことで、平板な世代論が他者によって語られてしまうことを、強固に拒んできたのだと思います。」

インタビュイーのみなは、この「前」と「後」の狭間に位置しているから、その間をつなごうとして、「ことば」にこだわっているのだ、といっているのである。

なるほど、理由は様々なけれども、「世代」なるものも「モダン−ポスト」の実感とも無縁なところにいたボクは、かけはしとしての「語り口」が下手なわけだ、と合点がいった次第なのである。ただ、そのような「世代」の刻印と「ことば」への執着は、やはりまた彼らがおそらく上の世代に感じたであろう、自意識過剰の気味を感じさせることも確かである。

もちろん、それは悪いことでもない。けれども、所詮「われわれ」や「ぼくたち」の世代は、自ら望まなくても、すぐにまた拒まれることになる。だから、そんな自明のことが解っていないのは、やはり自意識過剰の所作から来ているのではないのか、と半分負け惜しみで思うのである。