D.ノゲーズ「人生を完全にだめにする11のレッスン」

本たちと長く付き合っていると、どうしてもアフォリズムに引かれる。
生きる上での真髄が、短い警句として、文脈に寄り添いつつも普遍的に提示される。そこには<芸=アート>がある。
例えば、アドルノの晦渋な「啓蒙の弁証法」よりは、同じ問題に取り組みつつ、さらっと書き流している「ミニマ・モラリア」の方がボクは好きだ。そういうフォーマットを取るからこそ、逆にいたたまれなさが主張される。

一般的に、アフォリズムは日本社会での「ことわざ」のような機能を持っているようにも、一見、思える。ただし、「ことわざ」が世の不条理を超越的なロジックで正当化するのに対して、アフォリズムは不条理を受け止めつつ、そこから敢えて距離感を取ろうとする主体性があるように思える。ユーモアとアイロニーの違いとでもいうべきか。

最近読んだ面白い本、ということで紹介されたのがこのドミニク・ノゲーズ「人生を完全にダメにするための11のレッスン」(青土社)。人生をいかにダメにするか=いかにダメにしないかのアフォリズムだ。

「失敗した人生、真の意味で失敗した人生というのは代償のない人生、つまりどこにもすがりつく枝のない人生でなくてはならない。といって、それは完全に絶望しきった人生を意味しているわけではない。というのは、失敗した人生とは第一に不幸な人生、第二に不幸すぎない人生だからである」。

さらに人生をダメにするための方法の幾つかをピックアップ。
結婚する、うつ状態と戯れる、墓地に迷い、葬儀にはしょっちゅう出る、田舎に住む、パリに住む、喫煙家になる、精神分析医にみてもらう。
応用編はこうだ。
姦通で失敗する、料理で失敗する、マヨネーズ作りで失敗する、テレビ討論会で失敗する等々。ちなみに料理で失敗するための「もっとも簡単な方法は何か特別なことをしないことだ。あなたは、料理をしようと思うと、お茶の子さいさい、ごく自然に、失敗してしまう90パーセントの人間に属しているからだろうである」。テロで失敗するには、ヨーロッパの中心地であるブラッセルの小便小僧とめがけて特攻すること、ともある。

思うに、この本の通低にあるのは「死」への欲望だろう。随所に自殺のことが書いてある。「失敗した自殺だけが失敗をモットーとする者たちにとって認めることのできる自殺である」。おそらく、本書の出発点はここにある。

これらすべてが、いかにもノルマリアンらしく、「問題設定」、「定義」、「実証」、「反論」、「各論」というパートに分かれて叙述される。真剣に、かつ、楽しみつつ。それが人生をダメにしないアートだともいうとでもいうように。