シャン・ド・マルスの散歩者。

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2004年末に公開されたミッテラン大統領を主人公とした映画。
ミッテラン映画の製作中!」との報を昨年フランスで仕入れ、これを観にパリに行こうかと本気で思ったほど、待ち遠しかった(結局かなわなかった)。

フランスで政治家、それも現代における政治家を主人公にした映画はきわめて珍しい(そもそも政治「的」な映画はあっても、政治を題材にした映画そのものが少ない)。

とはいえ、この映画は「政治」を描写しているのではなく、「政治家」であった「個人」としてのミッテラン、特に大統領という最高権力者がいかに「死」に対して向き合い、
長きに渡る政治キャリアの「記憶」を再編していくのか、というところに力点がおかれている。死期が迫っていることを悟って、小さなカテドラルの祭壇の前に跪き、仰向けになって天井を見上げるシーンは感動的だ。

ミッテランを演じるMichel Bouquetはフランス有数の舞台俳優として有名だが、確かにその面影はミッテランを思わせるものがある。
ミッテランが時折みせたであろう、少しおどけた感じや人をからかうような雰囲気はよく醸し出されていた。ただ「スフィンクス」との渾名までついたミッテランの無表情という表情までは、難しかっただろう。
端的にいって、Bouquetのミッテランは余りにも友好的な雰囲気を持っており、もうひとつのミッテランの特徴でもある疎遠(distant)な感じはまったく感じられなかった。

もちろん、映画はルポルタージュではない。Bouquetのミッテランというものがあってもいい。しかし、そのように比べられてしまうこと自体、この映画がポレミカルであるということの証拠だ。

実は、DVD発売が待ちきれずに原作であるGeorges-Marc Benamou「Le Dernier Mitterrand」(1996)を読んでいた。この本も、ミッテランの最晩年(95年)に付き添った克明な記録であり、「大統領」としてのミッテラン、あるいは「個人」としてのミッテランと、どちらを基準にしてジャーナリストとして接するべきか態度を決めかねる、その職業的倫理観の揺れが素直に告白されている。そうした迷いが、Benamou役を演じたJalil Lespertを通じてよく描かれていた。

ミッテランが「最後の晩餐」で、狩猟禁止種でありながら美味とされているオルトラン(ズアホオジロ)をその秘密めいた儀式で食する(何を食べているか解らないよう、ナプキンを頭からかぶり、手を使って食べる)という出版当時物議をかもしたシーンはさすがに映画では再現されていなかったが、所々に実際にミッテランが発した会話内容や演説が用いられている。

原作にはないけれども、ミッテランがこんなことをいうシーンがある。

「ニューヨークに行けばジュリア・ロバーツと食事ができる。そしたら、私はプリティ・ウーマンでの彼女の足が本当に本人のものだったのかどうか尋ねることにしよう。いや、そんな破廉恥な質問はできないかもしれない。せいぜい一緒にルノー・トゥインゴで5番街をドライブすることにしよう」
「大統領閣下、なぜトィンゴなのですか?」
社会党の神が誇れる唯一のものだからさ」

解題1:ミッテランの女優好きは有名で、ある食事会の時にジュリエット・ビノシュを余りにも食い入るように見つめ続け、ビノシュは顔を赤らめたという逸話が残っている。特に、ミッテランはブルーネットの女性が好みだとされる。
解題2:ルノーはいわずとしれたフランス国営自動車会社の象徴(もちろん株式上場はされたが)。その中でも、トィンゴはその一番小さな車種。

中々考えられた台詞だ。
(ところで、僕の好きなブルーネットであるCarole Bouquetのお父さんはMichel Bouquetなのだろうか?)

そのほかにも、原作には出てこないこんな素敵な台詞があった。

「前に進むためには出来事に対する軽蔑、無関心という情熱を持たなければならない」

ランボーが母音で想像したように、国も色があると思う。フランスを支配している色は灰色だ。権利が持つ深く濃い灰色、プロヴァンスのラベンダーの愉快な灰色、シャンパーニュの緑がかった灰色、大戦の死体の色、幾多ものニュアンスを持つ灰色は美しい。灰色のことを美しくないというのは物事が解らない人間のいうことだ。」

政治的テーマとして盛り込まれているのは、1983年の社会経済政策の転換と90年代に入って指摘されるようになったヴィシー政府のコラボラトゥール時代のことだ。

前者については、ミッテランは飽くまでも現実に追従してしまった裏切り者、後者についてはその過去を正面から認めようとしない頑迷な老人として描かれている。

しかし、これを通じて描こうとしているのは、大統領でありながらも弱い人間であり、弱い人間だからこそ現実に打ち勝とうとするパラドクシカルな実存のあり方だ。そしてそのような人間が半世紀に渡ってフランス政治の中枢に居続けた歴史の重みだ。

ミッテランは、おそらくヨーロッパの中でもっとも歴史に重きを置いている人間だ」、と書いたのは当のミッテラン社会党政権によって亡命を認められたミラン・クンデラだった。

左がルノー・トィンゴ、右がオルトラン(雀みたいな味なのかなぁ?)r3853k.jpg

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